川北英隆のブログ

多田神社の記憶

山に行く時にはカミさんに、その日歩く予定の山と経路を渡している。最初はプリントアウトしていたのだが、地球資源保護?のために最近はPDFファイルをメールに添付している。今回、そのファイルを見たカミさんが、「多田神社に行くんかいな」と言った。
「知ってるの」と質問すると、「小学校の遠足で行った」とか。こちらとしては多田神社なんてまったく知らなかったし、その麓から登る大平山は極めてマイナーだから、「違う多田神社やろ」としておいた。
ところが1/17に書いたように、多田神社は清和源氏発祥として祀られている。境内も立派である。とすれば、カミさんの大阪の小学校が低学年用の遠足に使ってもおかしくない。
「でもね」と新たな疑問が生じた。カミさんは地理にまったく無関心である。歴史に関心があったとしても(どの程度か知らないが)、多田神社や清和源氏という、失礼ながらマイナーに近い史実の場所を、それも名前まで60年間も覚えているだろうか。
帰ってから、「多田神社、遠足の時に弁当を食べたやろ」と質問した。「そやで」との答えだった。この答えで60年間も記憶に留まった理由が明確になった。
というのは、カミさんは食べ物や食事の記憶に関して天才的だから。カミさんの記憶に残っていない食べ物もしくは食事があれば、それは至極平凡なものだったと考えて間違いない。
もう1つ例を書いておく。小田原である。何の旅行だったか覚えていないが、最初に小田原駅に降り、何年か後に再び降りた。2回目の時、カミさんが、「こんな駅、初めてやな」と言った。「前に1回来たで」と言っても、「知らんな」と歩いていて、目の前の店屋を見て、「あっ、来たわ」と叫んだ。「あの蒲鉾屋、覚えてる」と。
僕の記憶の中では、老人の域に片足を(両足かな)を突っ込んだこともあり、多田神社は数年後に消えているかもしれない。しかし馳渡山の山頂近くのヤマザクラの大木は残るだろう。それほど立派だった。大きなヤマザクラは山に多いが、馳渡山のものはすくっと伸びていて、それが極めて印象的だった。
上の写真は多田神社である。下はその馳渡山のヤマザクラである。
20220118多田神社.jpg

20220118馳渡山のヤマザクラ.jpg

2022/01/18


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