川北英隆のブログ

曵野孝さんの逝去

京都大学の曵野孝さんが逝去された。僕と同年齢である。数年前から弱られていたのだが、「今日、明日とは」との思いである。
曵野さんには大変お世話になった。僕が同志社を2年間で辞めて京都大学に移った大きな背景に、曵野さんの動きがあったのではと推測している。移る前年(2005年)、曵野さんの勧めもあって京都大学で非常勤を務め、その翌年に同志社を辞めて京都大学の常勤となった。
その当時、連絡や事務手続きを曵野さんがやっていた。というか、曵野さんからの積極的な働きかけがあった。精力的な印象を受けた。ここ数年(といっても、この1年は互いに連絡をしていないし会っていない)とは完全に逆である。
みずほ証券から講義のための寄付を受けるに際しても、曵野さんが積極的に動いていた。この寄付講義があったおかげで、何人もが講義はもちろん、研究においても大きな恩恵を受けた。僕も同じである。京都大学に移った当初、同志社に比べて大学からの研究費が本当に微々たる京都大学で生き長らえるには、みずほ証券からの研究補助が支えとなった。
トルコのコッチ大学に出向いたのが、曵野さんとの最大の思い出だろうか。アリス・チョルパンさんというトルコ出身の教員が京都大学いて、その縁から2015年、コッチ大学においてセミナーだったか学会だったかが開かれ、曵野さんの誘いで出向いた。研究発表をさせられ、仕方ないので英語で原稿を作り、ほぼ読み上げに近く対応した。質問があり、適当に答えた(通じたかどうかは不明の)記憶がある。
排除できない私用があり、仕方なしにイスタンブールに着く日を1日延期したため、トルコの名物料理を食べ損なった。でも、曵野さんとチョルパンさんの案内で市内見学をしたし、翌日は勝手にイスタンブールのアジア側へ旅行もした。歴史と文化を学ぶ絶好の機会だった。
曵野さんが元気だったのはその頃までだったかもしれない。行動はもちろんのこと、メールへの反応が遅くなり、病気になられた。この1年間、連絡を取り合わなかった理由の1つがこれである。
僕と同年齢だし、大学を移る前から連絡していたただけにショックがある。ご冥福をという月並みな言葉では言い表せない。

追記
3/13に葬儀だった。曵野さんが元気だった頃、「形あるものはなくなる」と語ったことがある。その言葉を思い出し、曵野さんのご冥福を祈っておきたい。

2022/03/08


トップへ戻る