川北英隆のブログ

猿投西の宮と菊石を見て下る

猿投山の三角点からどう下りようかと考えた。菊石(球状花崗岩、天然記念物)を是非見たかったので、三角点からそのまま西に縦走し、菊石のある沢にと思ったのだが、それだと西の宮に寄れない。そこで東の宮に戻り、西の宮経由で菊石方面に下りることにした。
戻りしな、東の宮の手前でお婆さんが左手の踏み跡に入っていく。最高点から戻る時に数十メールと間違って入った踏み跡へと、方向的に続いていると思った。
東の宮に戻り、3本の大ケヤキを過ぎると右手(西)に分岐がある。自然観察路の表示がある。それが西の宮へのルートである。豊田市のガイドにも紹介されているコースである。
井戸杉と呼ばれる3本の大きな杉を過ぎると道が沢沿いになり、崩れた箇所が出てくる。修復が行われているので問題ない。猿投山は花崗岩の山であり、それが風化して砂状になり、いろんなところで崩れている。
道はやがて沢から離れて尾根に入る。御船石がある。真ん中が割れた石である。
その先に石積みが出てくる。回り込んで石段を上がると、塀があり、その奥に鳥居があった。日本武尊と双子で、兄とされる大碓命(おおうすのみこと)の墓である。大碓命は猿投神社の主祭神であり、猿投山で毒蛇に噛まれて死んだという。ということは、この墓が猿投山の奥の院に相当する。
大碓命墓から石段を下りると西の宮に出る。東の宮と違って人がほとんどいない。西の宮からさらに石段を下ると鳥居があり、車道に出る。東の宮に登る手前で横切った車道である。
車道を西に下ると沢(広沢川)に出る。車道はそこで沢の上流部と下流部に分岐している。上流部の方は崩壊のため車両通行止めとなっていた。沢の下流部は大丈夫である。
猿投神社への下山には、この車道と、沢の右岸中心に設置されている遊歩道を使うことになる。沢は花崗岩を刻むように流れ、滝を形成している。滝といっても落差は大きくない。また冬場だからか水量も多くない。一見の価値はあると思うが。なお一番上部の滝は「血洗いの滝」と名付けられている(訪れなかったが、車道の分岐を少し上流部に歩くらしい)。大碓命が毒蛇に噛まれた傷口を洗ったとか。
まず沢を遊歩道で下り、その一番下で天然記念物の菊石(球状花崗岩)に出る。花崗岩が丸く結晶化して岩に入っている。残念ながら金網で囲われているため「何が何だか」というところだが、川床にも見られるという。よく見るとそれらしいのがある。
遊歩道が終わり、車道を下る。道路から階段を使って沢に下り、広沢大滝をついでに見る。それで沢沿いの道もほぼ終わりである。沢から離れる前に広沢天神にも立ち寄った。後は猿投山の南の縁を歩き、猿投神社に戻るだけ。猿投神社前のバス停に出て豊田市駅へのバスを待った。
猿投山の三角点からバス停まで2時間10分かかった。というか、バスの時間に合わせて歩いたのだが。なおバスだが、豊田市から名古屋市に出るのなら、豊田市駅の手前「上豊田駅南」で降りて名鉄豊田線を使うのが便利かもしれない(後で知った)。
なお『新日本山岳誌』によると、猿投のサナとはサルではなく、鉄冶金に関する言葉との説があるらしい。花崗岩の砂といい、西隣りが瀬戸市であることといい、鉱物資源に関係するとの説には説得力がある。サビもサナと関係しているようだ。
上の写真は菊石(多分)、黒く丸いのがそれである。川床を撮ったので、木の葉が写っている。下は広沢大滝である。
20220314猿投山の球状花崗岩.jpg

20220314広沢大滝.jpg

2022/03/14


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