海住山寺(かいじゅうせんじ)の境内に入った。まず遙拝所がある。春日山をはじめ奈良盆地の山々が展望できる。少し下ると本堂と五重塔である。
桜のツボミが大きくなっていた。本堂に上がり、拝観した。その後、五重塔を外から眺め、山門を見た。山門からは石段があり、下に車道が見える。
拝観料は500円、本堂で払った。寺(住職さん、それとも使用人?)の説明によると五重塔の脇から恭仁宮(くにのみや)方面に下るのがいいとのこと。昔の参道だったとか。それに従って海住山寺を後にした。数段上の尾根に上がり、境内に入らないハイキング道と合流する。石仏(1つだけだった)を見て尾根を下り、最後に加茂神社の脇に出る。
加茂神社は荒れた感じだった。かつては海住山寺とセットだったようにも思うのだが。
神社から下ると獣避けの柵がある。近くにはイノシシ用のワナ(檻)がある。ついでにシカとサルも書いてあったが。
南に一角だけこんもりとした林が見えるので、それが恭仁宮跡だろうと思い歩いた。この見当は少し外れていてが、近くに恭仁宮の大極殿跡、内裏跡があり、それを再利用した国分寺(山城国分寺)跡もある。礎石(基壇)も残っている。
恭仁宮跡から東に歩くと「くにのみや学習館」がある。恭仁宮や加茂(瓶原、みかのはら)周辺に関する歴史を紹介したビデオを見られる。確かに、地図で付近をよく見ると、例幣(れいへい)、銭司(ぜず)、登大路、高麗(もしくは狛)などの由緒ありそうな地名が点在する。
ちなみに例幣とは、神嘗祭に伊勢神宮へ奉納された幣帛(供物)のこととされる。その費用を賄うための田畑が指定されていて、その印(例幣使料碑)が加茂地区には多く(11箇所?)残っているとのこと。その1つが学習館の西側にある。ずんぐりとした石碑である。刻まれた文字は苔むしていてほとんど読めなかった。
高校時代の友人だった島悟君の故郷、加茂の歴史の深さを知った。その島君は2009年に亡くなっている。このブログの初期の頃、その島君の訃報を伝えた。なお、そのブログに登場するM君とは益田君であり、山に一緒に行くM君とは別である。
その後、東に歩いて岡崎バス停に出た。加茂駅まで近いので歩くことも考えていたが、バスがちょうど来た。
上の写真は例幣使料碑である。下の写真は島君の身代わり(護衛?)、シマナガシ(野生猫)である。1999年7月の写真だとか。国分寺(武蔵国分寺)に住んでいた頃、我が家を餌場としていた。いつも島君とセットで思い出す。
追記:地図を見ていると、「例幣」は日光付近にも「例幣使街道」として使われている。江戸時代、伊勢と日光に例幣が奉納されたらしい。
2022/03/19