川北英隆のブログ

円高の善悪は善しかない

円が安値に追いやられている。マスコミは節操もなく急に宗旨を変え、「円安は悪」論者になった。いつもながら昨日のことを忘れる達人である。本当のところ、円安は善なのかだろうか。悪なのかだろうか。
そんなの「悪」に決まっている。円高がいつの世でも国民にとって望ましい。
円高とは、同じ1円を支払えば、昨日よりもたくさんの物やサービスを海の外から買えることを意味する。だから「嬉しい」しかない。
円高を「悲しい」、円安を「嬉しい」と思うのは国内の輸出業者しかいない。正確に表現すれば、1ドルの製品を輸出した場合、1ドル100円の時よりも、120円の時の方が20円得した気分になれる。
「でもね」と思わなければいけない。日本国民という個人にとって、100円の働きをした時に、円高か円安かどちらが得なのかである。日本が海外から原材料や資源を輸入してきたことと、過去の蓄積である金融資産が少なからずあることを念頭におこう。
1ドル100円の場合、100円の働きによって、アメリカから1ドル分の商品を買うことができる。1ドル120円の円安になれば、0.8ドル少しの商品しか買えない。このように考えれば日本国民にとって円高大歓迎である。円安大歓迎と思うのは輸出企業だけである。以上が基本である。
それでも円高が困った事態を生み出すことがある。「短期的に行き過ぎた円高」である。言い換えれば、日本の実力以上の円高である。この行き過ぎた状態になれば、すべての輸出企業の「円での手取り」が少なくなるため、輸出のための生産ができなくなり、挙句の果てに倒産の憂き目に遭う。
このような「短期的な行き過ぎ」だけは阻止しなければならない。その上で、ゆっくりとした円高に誘導することを通じて、日本国民にも輸出企業にもハッピーな状況を作り出さなければならない。
もっとも、ゆっくりとはいえ円高になるのだから、すべての輸出企業にとってハッピーなわけがない。努力をして競争力をつけ(別の表現をするのなら生産性を上げ)、1ドルが120円から100円へ、さらに80円へと円が上昇していっても「そんなの関係ない」と言い切れる企業をできるだけ多く作り出すことが重要であり、理想である。では、日本は理想を作り出してきたのか。
見渡せばわかるように、円高を嫌がり、その望みを叶えるかのように円高が進まなくなった状況が実現し、本当に日本企業が隆々としたのかといえば、現実はその逆である。むしろ円高が進んだ時代に「強い日本企業」が大手を振っていたのに対し、現時点は寂しい。
多くの輸出企業が円安のぬるま湯の中で競争という言葉を辞書から消し去り、努力を怠ったからである。小学校低学年の「走りっこ」ではないが、日本企業はお手々つないでゴールインに慣らされてしまった。そんなの世界で通用するはずもない。
思うに、企業を甘やかせてはいけない。企業にとっての円安という蜜は、実は毒である。円高という試練を与え、というか試練をそのままにして、その中で生き残る企業だけを育む。本来の日本政府が取るべき経済政策とは、1つは円高だったのではなかろうか。
まとめである。円高か円安かの議論は、まずは時間軸を定めて、つまり短期か長期かをはっきりさせた上で議論すべきである。その上で、長期の視点で議論したのなら、円高が望ましいのは明らかである。

2022/04/20


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