烏ノ塒屋山から大宇陀までの帰りも歩いた。かつての街道が国道になっているにもかかわらず、交通量が多くなかったこともある。歴史のある地区を歩くのも悪くないことだし。
最初に栗野の岩神社を訪れた。川(津風呂川)をはさみ、登山口のほぼ対岸にある。村社とあったが、由緒ありげな神社で、かつ「岩」とは何かが気になった。社の背後が斜面になっていて、大きな岩がある。京都の岩倉にある山住神社(元の石座神社)の社の奥にある岩に似ている。
北に歩き、関戸峠を越える。この峠は壬申の乱(672年)の時、吉野に下っていた皇族が挙兵のために越えたとされる。今はどうなのかといえば、南に下ると吉野に至るとはいえ、吉野川の上流部に出るだけ。吉野自体、桜や紅葉の名所以外に何かあるのかといえば、主要産業だった林業が斜陽である。国道の通行量が少ないのも「さもありなん」と思える。
関戸峠は吉野川と宇陀川(木津川を経て淀川)の分水嶺でもある。M君が言うには、かつて栗野は吉野郡だったが、いつしか宇陀郡になったとか。調べると、かつて栗野は吉野郡龍門村に属していたが、1942年に龍門村は宇陀郡になり、今の宇陀市に至るとか。
関戸峠の北側、関戸の村からピラミダルな烏ノ塒屋山が見えた。
大宇陀に戻り、道の駅の西にある大願寺に立ち寄った。創建は聖徳太子の時代だとか。
その後、展望を得ようと城山に登った。去年の3月に登っているから、13ヶ月ぶりである。天守に向けて工事中だった車道が完成していた。それなのに、さらに延長工事中だった。市長の「箱物」の一環なのだろうか。
天守からは1年前と同様、展望が抜群だった。烏ノ塒屋山を確認できた。
道の駅に戻り、山菜(キャラブキ、タラの芽、山椒の葉)を買った。宇陀の番茶も買った。番茶は日本の熱帯を乗り切るための必需品である。
上の写真は栗野の岩神社である。社の奥の御神体と思しき岩ははっきりとは映らず、お隠れになっている。下は大宇陀の城山から見た榛原の名山、額井岳(中央)と、香酔山、貝ヶ平山、鳥見山(中央左)である。
2022/04/22