川北英隆のブログ

田口弥氏の逝去

非常に残念な知らせが届いた。日本生命の副社長で、僕の最後の上司だった田口弥(たぐちわたる)さんの逝去(4/26)である。76歳とある。今年77歳になられるはずだったと思う。
2002年6月だったか(手帳が手元にないので確定できない)、当時の上司だった田口副社長の部屋に入り、辞めたい旨を伝えた。ただし半年間だけは(つまりその年度の末までは)勤務させて欲しいと。その突然の申し出を何事もなかつたように受け止めてもらえた。当たり前ながら、内心どうだったのかは知らない。
加えて、その辞任の申し出を当時の社長(亡くなられた宇野さん)ともう一人の副社長(石橋さん)だけに伝え、年度末近くまで内密にしておくと伝えられた。僕も最後まで、田口さん以外の誰にも話さなかった。そのため、多くの方に失礼した。役員内示の発表の日、当時の秘書MRさんには「何で」と咎められた。
とはいえ、秘密にしてもらえたのは仕事の上で大変ありがたかった。これまでの人生において最大級の感謝である。
当時の会長(早くに亡くなられた伊藤さん)に対して知らせていたのかどうかは知らないが、辞める直前に挨拶したときには、やはり何事もなかったように見送ってもらえた。余談ながら、日本生命の中で感謝するとすれば、伊藤さんも最大級の一人である。
役員人事の内示の少し前、当時の総合企画の課長に、「株式を売れ、何で売らないのか」と言われた。2003年の年初である。僕は日本株を減らすべきだと主張していたが、「みんなが売り急いでいる時」に売ろうとは思っていなかったので、「こいつ、内示の内容を早くも知っているな」と思いつつ、その課長に「アホかいな、ど素人」と言ったかどうかはともかく、対立したままになった。多分、田口さんと石橋さんの間で「とりあえず売らない」と合意が成立したのだろう。会社として積極的には売らなかった。辞める直前だったので実際のところは知らないが。
会社を辞めてから1回だったか(2回のような気がしてきた)、田口さんと会食をしたことがある。もう20年近くも前である。共通の社外の知り合い(もう1回は僕の後任?)を混じえてだった。ニッセイアセットの社長に転じられた時も何回か訪れた。
田口さんは淡白で、退職後に年賀状を廃止された。それで会う機会を逸した。いずれどこかで機会を見つけ、話しをしたいと思っていたのだが。
思い出したのは仙台近くの福島出身だということ。言葉に訛があった。それが厳しい指摘や命令に聞こえたような、そうでもないような。訛はなかなかいい。
まだまだ会う機会があると思っていただけに残念である。油断である。
10年か20年か後、雲の上で会食して、「今の世はますます悪いな」とか「思っていたよりも良くなったな」との東北訛を受け、関西弁で応えるしかない。寂しいながら、ご冥福をお祈りしたい。

2022/04/29


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