川北英隆のブログ

柳ヶ瀬山の城跡へ

余呉バスの乗客は僕だけだった。地域住民でもないのに悪いなといつも思う。もっとも、地域には少額ながら貢献している。
後で知ったのは、柳ヶ瀬の南端付近に長屋門という建物がある。関所跡の建物を移築したそうだ。明治天皇も訪れたという。バス停の手前だったため見逃した。
関所跡の?を見る。脇に水路の流れる旧街道と村の家並みに、賑やかだった頃を偲んだ。街道の正面に柳ケ瀬山(玄蕃尾城跡)方面が見えてくる。広葉樹林の若葉と植林の深い緑とが斑模様になっている。北国街道沿いに流れる余呉川の東には新谷山付近も見える。やはり斑模様である。
村を抜け、余呉川を渡ると敦賀へ抜けるかつての街道に入る。「刀根越え」と呼ばれている。峠(倉坂峠)を越えると刀根の村だから。
道標にしたがって谷沿いの道を離れ、刀根越えを登る。山道とはいえ広い。最初は植林の中だが、ジグザクの道を登り終え、広葉樹林に入る。傾斜がゆるくなり、道は尾根の南側を巻くようになる。雪で削られるのか、道が崩れて細くなった箇所もある。1m以上雪の積もる地域だから、残雪期には注意が必要だろう。
簡単に倉坂峠に着く。峠の横にはコンクリート製の建造物跡があった。何かは不明である。
久々坂峠との表記もあるこの峠は滋賀県(近江)と福井県(若狭)の境でもある。これも後で知ったのだが、福井側は峠の真下付近まで車道が付けられている。このため玄蕃尾城跡では2人に出会った。これが当日、山中で出会ったすべてだった。
峠から玄蕃尾城跡への道は整備されている。急登が終わると三角点(439.1m、点名は中尾山)がある。その先も緩やかな登りが続く。通路には桜が植えられ、空堀跡や土塁跡が整備されている。賤ヶ岳の合戦時に柴田勝家の本陣が置かれたそうだ。使われたのはその時だけのようで、当時の城の構造が残されていて貴重だと書かれていた。
主郭跡は公園状になっている。柳ケ瀬山(別名、中尾山)の最高点(460m)でもある。横山岳が近かった。それ以外の山は背が低く、主郭周辺の木に隠れていた。
写真、上は柳ケ瀬にある昔の道標である。敦賀と越前を示している。下は柳ケ瀬山の山頂(主郭跡)である。
20220430柳ヶ瀬の道標.jpg

20220430柳ケ瀬山山頂.jpg

2022/04/30


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