「円安、最高」ではない。「円安、再考」である。4/20に「円高の善悪は善しかない」と書いた。その続きである。
僕が大学に入った時は1ドル=360円の時代だった。それが1971年8月に終わった(ニクソンショック)。その年の12月、306円に固定されたが(スミソニアン合意)、この体制が73年2月に崩壊し、ドル為替レートは変動相場制の時代に突入した。
その後、2000年頃までだろうか、海外旅行で「安いな」と思うことが多かった。その感覚が、旅行する国によって時期が異なるものの、徐々に「ええ、高いなあ」と感じるようになった。海外の物価が上がり、日本の物価がほぼそのままだったためである。
個人的な感想はともかく、円高は日本の国力の高まり、円安は弱まりを象徴する。
コロナの前、インバウンドによる外国旅行者が嬉しいとマスコミが報じたのは、旅行者が来ることによって儲かる業者が多く、政府がそれを「善」としたからにすぎない。個人にとって決して嬉しくなかったはずだ。観光地も飲食店も電車も混んだ。
そんな迷惑な状態が国内で生じた理由は簡単である。2000年頃までの僕の海外旅行と同様、海外からの旅行者にとって「日本が安い」からである。別の言い方をすれば、日本がバーゲンセールされている。観光地や飲食店で働く者は当然のこと、工場従業員の給与が相対的に安いから、海外旅行者が日本のサービスや製品を「安い」と感じ、こぞって買う。
円高を歓迎するのか不快に思うのかは、それを評価する立場による。
輸出企業にとって円高は好ましくない。1ドルの製品を輸出しても、手取りの円が少なくなる。消費者としての国民の立場からは円高が好ましい。1ドルの製品を買うのに、少ない円を支払うことで済ませられる。
その輸出業者も、優れた企業にとってみれば、長期的には円高が望ましい。創意工夫によってより付加価値の高い製品を作れば、もしくは同じ製品をより安く作る技術を開発すれば、勝てる。そんな創意工夫をしなかった業者が排除され、競争において優位に立てて、シェアの拡大が図れる。ただし経営者には血のにじむような働きが必要になるが。
この長期的視点が、政府やその意をくんだ日銀には欠けていた。企業にとって血のにじむ働きから逃れられ、さらには寝ていても生き残れるような「円高阻止」や「円安」を好ましいと政府や日銀は思い込み、「金利ゼロ」の環境を作り、多くの場合は暗にだが、円安に導いたのである。この結果、多くの日本企業は世界市場での競争力を失っている。
この競争力の喪失が今の円安の根本原因である。かつての円安政策が、今の本格的な、望まない円安の背景にある。
先日ある場所で議論をしていると、識者が円安を嘆いていた。理由は上で述べたのと同様、日本の国力の低下にある。その象徴が国内総生産(GDP)である。現在の日本のGDPはアメリカと中国に次いで世界第3位である。それが今回の円安により、ドイツに急接近されている。
手元の資料で調べたところ、2019年現在、日本のGDPは5.082兆ドル、ドイツは3.861兆ドルだった。倍率を計算しておくと、日本はドイツの1.32倍である。ところが、21年のGDPを今の為替レートで計算すると、日本は4.361兆ドル、ドイツは3.765兆ドル、倍率1.16倍と、急接近している。さらに円安が進むと逆転が近い。
5位のイギリス(ドイツの0.8倍弱)、6位のインド、7位のフランスまで少し距離があるものの、これも油断できない。
ついでだが、国民1人当たりのGDPを見たところ、円安によって日本は、何と28位に沈んでいる。もう10%程度円安が進むと、イタリア、韓国、台湾に抜かれ、30位台に落ちる。「円安は善か悪か」を議論している場合ではない。「経済大国日本」の非常事態である。
2022/05/04