川北英隆のブログ

栃ノ木峠へ

木ノ本駅から中河内行きの始発バス(7時16分発)に乗った。始発に乗った理由は簡単である。当日の最終目的地である今庄は遠い。京都への戻りに余裕を持たせたかった。
その中河内方面行きのバスに、3回目にして初めて同乗者がいた。それも外人である。事情を知ったかのように事前に小銭を用意し、余呉小中学校のバス停で降りた。コロナでなければ2人きりなこともあり、「何しに」と質問したのだろうが、今回は離れて座った。
この4月末に降りた柳ヶ瀬付近を懐かしく眺めていると、白い花が一面に咲いていた。バスからなので特定できないものの、大きめの花である。
バスは柳ヶ瀬を過ぎ、椿坂峠を越え、終点の中河内に着く。バス停は村の外れにある。その西側にある廣峯神社を訪ねた。ニレだろうか、大きな木が何本か神社を囲んでいる。
神社を後に、かつて北国街道だった国道365号線を北へと歩く。まっすぐな道の横から、蛙の声がしきりとする。歩きながら、バスから見た白い花がヤブデマリだったことを確認した。ピンク色のタニウツギ、薄紫のフジも満開だった。北国に、といっても京都市内からすれば少しだけ北国に訪れた初夏である。
道は緩やかに登り、「ベルク余呉スキー場」への入口を東に分ける。雰囲気からして廃業したように思えた。
その先、栃木峠のすぐ手前、道路の東側に祠がある。地蔵堂というらしいが、今現在、祀られているのかどうか怪しかった。半分壊れかかっていたので拝んでおいた。
その先が、憧れていた栃ノ木峠である。思っていた雰囲気とはかけ離れ、非常に明るかった。余呉高原スキー場の施設が峠のすぐ南西側にあることも、予想していた峠との差を大きくしているのだろう。加えて、国道が北の福井側へ、少し高度を高めつつ続いていることに違和感があった。
とはいえ何よりも、栃ノ木峠の名の由来である大きな栃が3年前に枯れたとか。この大木の茂みがなくなったため、峠のイメージを一変させたのかもしれない。栃が枯れたことはネットで知っていたとはいえ、改めて残念に思えた。
周囲を見渡すと、峠の北西側に大きな切り株があった。栃の大木の名残だろう。さらによく見ると、峠のすぐ下に若い栃が花を咲かせていた。大栃の子孫だろうか。その子孫の中から、少し未来に、「栃ノ木峠」の栃を襲名する木が登場するのか。その栃が、旅人の越えるにふさわしい峠を演出する。そんな夢を見ておきたい。
写真、上は廣峯神社、下は栃ノ木峠の大栃の切り株である。
20250519廣峯神社.jpg

20220519栃の切り株.jpg

2022/05/19


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