川北英隆のブログ

木ノ芽峠へ

栃ノ木峠から木ノ芽峠に向かった。北東に伸びた稜線の北側に舗装道路が付けられている。なんのための道なのか。舗装してあるので単なる林道ではない。いずれにしても、多少のアップダウンがあるとはいえ、歩きやすい。緑が多く、車が通らないから気持ちがいい。
初夏の花が満開だった。撮ってきた写真で確認したところ、タニウツギ、ミツバウツギ、ヤブデマリ、ガマズミ、ミズキ、ナナカマド、フジ、トチ、ホウ、ウワミズザクラ、ウリバカエデ、サワグルミ、ハクウンボクなどが見られた。白い花が多いため派手でないものの、かえってそれが清々しい。
動物はというと、カラスアゲハが谷からこぼれる水に集まっていたこと、水溜りの上の灌木にモリアオガエルの卵があったこと、ワシ(多分イヌワシ)が1羽、上空を舞って獲物を探していたことも写真に収めた。
木ノ芽峠近くになって、左手に敦賀方面への道を分け、次に西光寺丸城跡への分岐がある。城跡へ、ついでだからと尾根に上がる。すぐである。林の中に砦跡があり、石碑が1つ立っている。城跡があるのは木ノ芽峠が重要だったからである。
後は尾根伝いに木ノ芽峠へ向かった。送電塔を2つ過ぎ、切堀跡のような窪地を横切ると茅葺きの民家の裏に出る。知る人ぞ知る前川家である。築550年とかある。茶屋として、番所として前川家が代々住み、守ってきたとのことだが、訪れた日には誰もいない雰囲気だった。犬もいるとのことながら、玄関横に首輪の付いた犬用の新しい綱が掛かっているだけだった。帰ってから調べると、今年3月に主が亡くなられたとある。
このブログへのコメントを時々いただく山口のTさんによると、「2013年に放送されたNHK・BSの『新日本風土記 越前の冬』に冬支度をする前川さんの様子が収録されていました。番組では、父が亡くなり50歳を過ぎてから峠の家に戻ったこと、息子は敦賀で暮らしているが、跡を継いでくれるかどうかはわからないとのことでした」と。
住んでいたのは80歳少しの前川永運さん、平重盛が先祖だとか。峠にはその平重盛の墓がある。
当然のことながら、戦いのために多くの武将がこの峠を越えた。松尾芭蕉も越えた。明治天皇も立ち寄ったらしく、行幸の碑がある。もう1つ、大きな碑がある。永平寺を開山した道元が病のために京都に戻る途中、この峠(木部山とある)で弟子と別れたと記されている。
京、若狭と越前を結ぶかつての重要な峠道、その頂点の峠から目と鼻の先に今はスキー場(かつての街道を完全に占拠しているわけではない)がある。何か変だなと思う。
写真、上はイヌワシらしき姿、下は木ノ芽峠である。写真の左が道元関係の碑であり、その奥に平重盛の墓がある。
20220521イヌワシ.jpg

20220521木の芽峠.jpg

2022/05/21


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