川北英隆のブログ

「円安はプラス」の変な議論

5/4の「円安再考」で書いたように、多くの日本国民にとって国力の低下を意味する円安は望ましくない。理想は「緩やかに進行する円高」である。そのために必要なのは、日本の総合的な経済力の向上である。それなのに、変な議論を有識者でさえ語っている。
5/23の日経9面「複眼」に、今進行している円安への議論が掲載されている。その中の植田和男氏の議論は、「彼としたことが何、これ」としか思えない。全部が全部変ではないのだが、あまりにも金融政策に偏った議論が展開されている。そして日銀の肩を持っている。やはり彼は金融の人で、企業経営の外にいるなと感じた。
何が議論として変なのか。
円の力がなくなった主犯は誰か。金融政策では決してない。単純に企業に活力がなくなったからである。だから賃金が上がらず、収入が増えないから需要が盛り上がらず、物価が上がらない。今回の議論の中では日本の成長力、教育などの問題点を指摘しているものの、もう一歩踏み込みが足りない。
また円安の要因として、「日米金利差拡大という循環的要素」を指摘している。現実はというと、日本の金利がゼロから脱出できない。このことからすれば、金利差には循環的というよりも構造的要素が大きく作用している。
さらに「日本が持つ巨額の対外資産を考慮すれば『全体として(円安は)経済にプラス』との日銀の評価は現時点で正しい」とする。しかしこの議論は的外れか、かつて彼が審議委員を務めた日銀の肩を持つための理屈でしかない。
というのも、対外資産よりも国内資産の方がはるかに大きい。その超巨額の国内資産が円安によってバーゲンセールになること、日本が世界の国々とくらべて相対的に貧しくなることを無視するのは大きな誤りである。ウクライナ問題が象徴するグローバルな政治経済の不安定化は、国を守るためには体力が重要になったことに帰結する。そんな中、円安によって一気に日本の体力が失われることを「正しい」と評価できるはずがない。
もちろん円安を日銀の金融政策の責任だと主張するつもりはない。この点は上で述べた。円安は国の政策全体の問題である。
とはいえ日銀は重要なプレーヤーとしての役割発揮を放棄した。日本経済に関して、国や国民と真剣に議論してこなかった。少なくとも国と議論した結果を国民に積極的に示してこなかった。逆に超金融緩和を続ければ日本がいずれ良くなるとしてきた。
この日銀の、とりわけ13年以降の10年近くを無罪放免とするわけにはいかないと思う。

2022/05/23


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