川北英隆のブログ

松尾寺を経て小泉へ

山頂から南に下る。100メートル少し歩くと分岐に出る。右に行けば白石畑、左は切通を経て松尾寺である。とりあえず松尾寺に向かった。切通はその名の通りだった。その先で松尾寺の境内に入り、三重塔を見つつ、本堂の横に出た。
松尾寺には父親に連れられて何回か来た。日本最古の厄除け霊場とのことで、とくに42歳の厄年前後に奈良県人はよくお参りする。それに付き合わされたわけだ。
実は松尾山の山頂には以前に上がっている。記録には1979年1月3日とある。帰省の折、父親の車で寺まで来て、そこから上がったのだろう。NHKのアンテナ施設はしっかり覚えている。盆地側から矢田丘陵を見た時、アンテナのある山頂が松尾山であることも知った。
松尾寺でぶらぶらしていると15時を回ってしまった。当初は白石畑を経由して法隆寺か竜田川の駅まで歩くつもりだったが、そうすると少し遅くなる。父親に連れられて小泉の駅から歩いたことを思い出し、一番簡明で近そうな小泉に下ることにした。
寺からは舗装された車道ながら、急坂である。中学生の時、松尾山で水晶が取れると聞いて、友達と自転車で出掛けた。M君も一緒だった。2人の記憶を合わせると、法隆寺に住んでいた(今でもそうだが)田口君、中学まで一緒だった前田君の4人だったようだ。自転車2台を使い、2人乗りしたと思う。その帰り、山田という集落に入る手前の坂道で、僕と前田君の乗った自転車が砂利にタイヤを取られて横転した。前田君のスリ傷がひどかったので近くの民家に入り、洗わせてもらった。
今はその道も舗装されている。2車線なのに車がほとんど通らなかった。小泉の町に入ると城跡がかすかに残っている。石州流茶道宗家の家、片桐という表札、堀跡のようなものに気づいた。その先に小泉城址(片桐城址)の石碑がある。こちらは「ある」というだけに近かったが。
富雄川を渡ると関西本線の小泉駅である。そこでM君と上りと下りに別れた。
上の写真は三重塔への石段から見た松尾寺の本堂である。下は山田の村と矢田丘陵である。多分歩いた稜線付近が見えていると思うものの、判然としない。
20220606松尾寺.jpg

20220606山田の村落と矢田丘陵.jpg

2022/06/06


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