川北英隆のブログ

行政も分散投資を学べや-1

友人と話していると、分散投資の話題になった。発端は19日に降った京都の大雨である。1時間88ミリと、記録をみるかぎり1980年8月26日と並び、過去最高タイである。
京都の中心部(御所があった付近から南、五条付近まで、東西は御土居のあった付近まで、つまり昔の洛中かな)は洪水の心配がほぼない。南に緩やかに傾斜しているからだ。東は鴨川、西は桂川(より正確には天神川)に区切られた、ちょっとした高台でもある。
もっとも、今は中心部と思われがちな河原町はその名のとおり、鴨川の河原だったようで、氾濫したのだろうが。御土居の外、洛外でもある。だから今でも場末の感が少し残る。僕が学生だった頃はもっと場末感があった。
それはともかく、京都の中心部はコンパクトにまとまり、洪水もなく(地震は別)、いい土地だと思う。しかし、周辺部(「京都嫌い」的、差別的に言うと洛外)はそうはいかない。洪水や土砂崩れのリスクがある。
人口が集中し、都市部が発展していくと、どうしても後から来た者はリスクのある場所に住むことになり、先住民に「へえっ、そんなとこに住んではるんどすか、偉(えら)おすな」となる。こう書いたものの、僕は京都人ではなく、もっと先住民の奈良(大和)人なので、正しく「京言葉=大和のベルベル語」を使えてるのかどうかわからないが。
昔なら、多少危険があっても商売のため、職のため、つまり生計をたてるために都の周辺部に住むことにも意味があった。発展途上国の首都へと周辺部から人口が集中するのと同じである。
首都に出てきたところで生計がたつのかどうかは不明だが、人口爆発によって継ぐべき農地や放牧地がなくなれば、都市部に出て来ざるをえない。リスクのある土地さえも得られず、青いビニールをテント代わりに住むことさえ強いられる。
僕が小さい頃、西洋人が日本の都市部の住宅を見て「ウサギ小屋」と表現したとか。僕の山の師匠が関西の山を歩き、「奈良の家は立派やね」と感心していた。東京から見れば関西の田舎の家は(トタンやスレートではなく)黒い瓦屋根で葺かれ、しかも大きい。西洋人がそれを見ていたら「ウサギ小屋」なんて表現はしなかっただろう。
要するに人口が集中すれば、職や商売上はともかく、生活的にろくなことはない。でも日本人もごく最近まで東京というか首都圏に集中した。
かく言う僕も、1977年から2004年まで東京で出稼ぎ生活を送った。出稼ぎ生活を終え、せいせいしているが。
友人との話しに戻ると(ようやく戻るのかいな)、コロナの恩恵からネットを使って仕事ができるようになったのだから、「政府は災害のリスクにもっと真面目に取り組めや」「集中を避けて分散を図れや」となった。子供に「金融リテラシーや」と言う前に、「金融リテラシーの基本である分散投資の効果を政府自身が実践したらどや」との結論になった。(続く)

2022/07/25


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