川北英隆のブログ

電力逼迫は天災ではない

関東地区に住む友人が怒っていた。猛暑で発令された「電力需給逼迫警報」という名前に引っかかったらしい。「ふざけた警報や」、「自然災害やったらともかく、全部が全部、政府官僚の責任やんか」と。
「それやのに、警報出すことで国民を守ってる気になってるんとちゃうんやろか」とも。友人も老人である。このため、「一般庶民が節電しよう思うたら、まずはエアコンを控えることになり、熱中症で死にまんがな」とも。さすがに政府も「エアコンは適度に(だったかな)使うこと」と節電要請の語気を弱めたが。
友人の怒りは節電ポイントにも向けられ、「生活が苦しい年金生活者に、ゼニが欲しかったらエアコン使うなと言うてるようなもんやね」とあった。
この節電ポイント、「失策を転じてバラマキ政策となす」巧みさである。さすが政界トップにのし上がった政治家だと褒めたくなった。
これは別の知人の説なのだが、「日本から電力政策が消えている」と怒っていた。日本にあるのは、ただただ「原発を再稼働させたいとの願望、議論、模索」に等しいようだ。これに対して知人は、「原発の議論は電源構成の問題であり、電力政策ではない」と言う。
これまで日本の電力業界を牽引してきた東電が2011年に実質崩壊した。関電をはじめとする他の電力会社の体力も失われた。優秀な人材の流出が激しくなり、それに代わる新たな人材の流入は貧弱となった。
政府の電力政策は(実は政府の行政全体がそうなのだが)実務的知識を有した民間会社に多くを依存している。このため、民間電力会社のレベルの低下は政府の電力政策のレベル低下につながる。かつ、体力を失った民間電力会社は新しい試みを忌避するようになる。以上から、日本に電力政策と呼べるものが消え、まさに「十年一日」の議論というか雑談が続いている。
他の経済政策との整合性も疑問である。近未来である電気自動車の時代に十分な電力があるのか、政府が描く成長戦略と電力供給が両立するのか、賃金が上がり消費が増え電力需要が高まる時に停電しないのかと、考え始めればきりがない。
たとえば電力会社間の融通システムを増強するための、また太陽光や風力発電の電力を流すための送電システムの整備と増設を図らなければならない。これには長い年月と多額の資金が必要になる。節電ポイントのための予算があるのなら、まずは送電システムに充当すべきである。
節電ポイントは家庭に対する措置だと言うのなら、LEDや新しい省電力型のエアコンに対する補助金という手もあるだろう。家庭の所得を十分に把握できていない日本政府には超の付く難題かもしれないが、難はあっても実行して損はない。国として広い意味での資産が形成されるのだから、節電ポイントととしてばら撒くよりもましである。
いすれにしても、いつ解決できるかもわからない原発に望みを託し続けるよりも、現実性の高い政策を描き、即刻実行しないことには、今年は停電を回避できたとしても、来年もしくは再来年には後進国並みの停電が日本を襲うことになりかねない。

2022/07/03


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