今週は草津に残っている宿場町の風景を見つつ牟礼山という丘を歩いた。草津駅で降り、牟礼山を歩き、南草津駅に戻った。もう少し高い山に行きたかったのだが、天気が良くなく、かつ足も本調子ではない。そこで歩き残していた山を目標とした。
草津で東海道と中山道が合流していた。京の玄関口であり、京からの旅立ちの町だった。これまで、確かバスを使うために降りたと思うのだが、町を歩いたことがない。
東口から降りると、2本目の車道が旧中山道である。あまり雰囲気がなく、普通の駅前の飲み屋街的なのだが、それを京都側(南西)に歩くと小さなトンネルがある。旧草津川の下をくぐっている。草津川が天井川なので、明治になってその下を掘って通行できるようにしたとか。2002年に草津川放水路ができ、かつての草津川は「廃川」になった。
トンネルの先で旧中山道は旧東海道と合流する。そこに「草津宿追分道標」がある。1816年に立てられたそうだ。その向かいの一等水準点が立派だった。水準点を見る趣味はないが(そこまで手を広げる時間はない)、「さすが旧中山道と旧東海道の合流点」というので写真に収めた。
道標からしばらくの間が草津宿の中心部で、本陣跡、問屋場・政所跡などがあり、大宿場町だった頃の立派な建物が見られる。数は多くないものの。
今回の宿場町歩きは立木神社までとした。この神社は街道に面していて、交通安全(旅の無事)の神様だったらい。神様が常陸の鹿島神宮から白鹿に乗って来られたというので、鹿が狛犬の代わりにたくさん置かれている。近くの小川にはアオサギが「ワテが神域の主や」と番をしていたが。
立木神社から旧東海道を離れ、南東に向かって牟礼山を目指した。以下、続く。
写真は一級水準点(上)と、立木神社横の「シカよりサギや」顔のアオサギ(下)である、
2022/07/23