いつも事務手続きをして思うのが、「事務が目的化してしまっている」ことである。昨日も「一般社団法人京都アカデミア投資研究会」の銀行口座の名義人を書くに際して、それを思った。
口座の申込み書類に「一般社団法人」を外して書いた。「書いたほうがええかな」と思いつつも、面倒だったし、「わかりきっているやろ」というので省略した。すると手続きの最終プロセスになって、「書いて欲しい」と言う。「しやあないか」と名義人の記入欄の上半分に書いた。
すると「ふりがなも」と言う。こちらは「ええっ」だった。というのも「京都アカデミア投資研究会」だけで、ふりがな欄をほぼ使い切っていたから。「どうするんや」と迷っていると、「どこでもいいので」とのことだった。適当に書いたところ、満足してもらえた。
ふりがなは読み方を間違わないためにあるはず。そうだとすれば、読み間違いのない場合は省略するのが正しいのではないか。「一般社団法人」の読み方なんて、1通りしかない。
ついでに書けば、「京都アカデミア投資研究会」も1通りだから、ほんとうのことを言うと省略でもいいかなと思っていた。最近、他人に読んでもらうために筆記具で文字を書くことが皆無に近くなったので、あまり多く書きたくない(文字を書くための筋肉が衰え、手が動かない)のが正直なところである。
最近は経験しないが、住民票の住所を書かせ、ふりがなを付けろというのには怒ってしまう。僕の住民票の住所は京都府を入れずに42文字ある。ふりがなを打つと、その文字数はどうなるのか。本邦初、物は試しで数えてみた。番地などの数字は数字のままとして、69文字あった。それを書かせられたことが数回ある。
何のために書かないといけないのだろうか。祝電でも打ってくれるのか。しかも69文字も書けるスペースがない。書いたところで、下手くそな文字なので、それを確認しているとは思えないし、確認できるはずもない(自慢ではないが)。
京都府を省略して住所を書くと、「京都府を入れろ」と言われたこともある。京都市が京都府ではないと思うのが日本にいるのか。いたら、そんなのは小学校に入り直さないと。
つまり事務が目的か趣味と化している。それも他人に手間を取らせる趣味である。
もっと言うと、郵便番号を書けば、それで市町村名が自動的に判明してしまう。郵便番号に加え、念のため町名を書かせ、それに番地と、集合住宅の場合は建物名と部屋番号を追記させれば十分なはずである。そんなことも知らずに、知っていても無視して、僕の子供の頃と同様か、それ以上に厳しく住所を書かせよう、ふりがなを付けさせようという事務こそ、日本の時代遅れを象徴している。
銀行口座を作れた京都銀行に文句を言うつもりはないし、適当な場所に書いただけで許してもらえたから「しゃあないか」である。書かせていないと、ひょっとして監督官庁の検査の時に怒られるのかも。今度、監督官庁のトップ層に会うので質問してみたい。
2022/07/27