元の勤務先企業から年金を受け取っている。最近(去年からか)、要するに「死んでなくてゾンビでもなくて、ちゃんと住んでることを証明せよ」との葉書が届くようになった。
その葉書が要請しているのは、役所に住民として登録されているのかどうか、つまり住民票的なものをもらって来いということである。そのためには役所に出向かないといけない。
思うに、死んだ者に何年間も年金を払い続けた厚労省の大失態があったからか。そこでサルのように反省して、生存証明をさせようと思ったのだろう。元の勤務先企業からの年金も、税制的には公的年金の一種として扱われる。だから国として指導したのだろう。
「でもね」と、まず思う。「そんな国民の生死を紙ベースでしか認識できないなんて、後進国の典型やん」と。ましてや今、政府が事務をデジタル化しようとしているのに、戸籍や住民票に次いで重要というか、金銭がからむから最重要ともいえる年金受給者の生死さえ、政府やその子分が自分自身で確認できないなんて、「アホやん」である。
以前から何回も書いているように、マイナンバーカードをちゃんと活用すればいい。
「個人情報が・・」という反論は一応理解できるが、金銭的損得を考えると、普通の日本国民にとってはマイナンバーカードを税金や公的年金に紐づけてもらうのが得である。
「損や」と思うのは、一部の大金持ちか、いろいろと荒稼ぎをしている個人企業か宗教法人くらいだろう。そんな無意味な反論に耳を貸している政治家は、片棒担ぎに違いない。
と、御託を並べたところで、提出書類を出さないことには年金が停止する。そこで、届いた葉書に住所と氏名を書いて市役所(正確には証明書の発行窓口)まで行こうとした。
ここで失敗してしまった。というのは、長―い42文字の住所を書くのが嫌なのでゴム印を押したところ、逆さまになっていた。「まあええか」というので、そのまま市役所に行き、証明を「お代官様」とばかり願い出た。
提出窓口の相手は、市民を市民とも思っていない風に横座りしていた。しかも「住所が逆さまね」と念をおす。「へへっー」とは言わず、また「そんな狭い欄に42文字は無理やさかいゴム印を押したら、老人やもんなんで、逆になってしまいましてん」とも言わずに、ただ笑っておいた。
しばらくして証明書の受領窓口から呼び出しがあった。行くと、異口同音に「印が逆さまね」と言う。仕方ないので、「欄が狭いから手で書けないし」と言っておいた。すると「訂正するスペースもないし、これで間違いでもないし」と言いながら、証明印を押した葉書を手渡してくれた。350円だった。
そこで再び思った。京都市の職員教育の悪さである。門川はん、和服と伏見の酒どころやあらへんで。
さらに、年金に対してこれだけの労力を老人にかけさせようという「政府って何者や」である。僕の場合は歩いて行ける距離なので350円の支払いだけで済んだが、そうでなかったらどうなるのか。田舎の爺婆が1日がかりで役所にまで行くのか。政府が脅しのように宣伝している人生100年時代に入ったら、どうするのか。
これらへの対策としてデジタル化が必須である。今のような「葉書で、市役所で証明してもらえ」なんて、死人に年金を払い続けたためにどやされた厚労省の責任逃れでしかない。国民のための政府ではないのかな。
20年以上前のことを思い出した。正月に近くをブラブラと歩いていて、ふと見ると、駐車してある車の下に猫が寝ていた。「ツツ、ツツ」と声をかけて呼んでいたら、後ろから来たカミさんが「死んだ猫に声をかけてどうするんや」と言った。それ以降の僕は、猫が寝ていたら棒で突っつくことにしている。というのは嘘かな。
いずれにしても厚労省と子分は、死んだ者(もん)かどうか、棒の代わりに紙ツブテで爺婆を刺激しないとわからないらしい。
2022/08/09