この年齢になると、お盆が本来のお盆に近づいてきたようだ。誰ともほとんど関係ない段階から、爺さんと婆さん、両親というふうに関係者が増え、ついには多くの知人、恩人、友人が新盆を迎える段階になった。そんな時、ふと夢を見た。
山小屋に泊まっている夢である。夕方、登ろうとしている山、かつて登った山が遠くに見えるだろうと、小屋からの散歩を楽しむことにしたところ、予想どおり山がうっすらと見える。その姿を写真に収めようとしたところ、シャッターが下りない。どうしたことかと何回か試みるのだが、シャッターが下りたような下りないような、下りたとしても夕方の薄暗い光では山の姿が写らないような。
ここまでがよく見る夢のパターンである。その続きが深刻だった。ふと閃いたのが、恩人のMさんの訃報だった。どういうことなのか解らないまま、Mさんが旅立ったと思った。そこで目が覚めた。
そういえばMさんと会おうと思っているうちにコロナが流行し、機会を逃してしまった。健在なら87歳過ぎである。一度連絡したものかどうかも迷ってしまう。電話なら迷惑だから手紙だろうか。しかし手紙も実のところMさんにとって問題がある。
どうしたものか、お盆だしと時たま思っているうちに、京都は送り火の時刻となった。その少し前、雷雨があったものの、点火時には止んだ。
写真はわが家から見た大文字の送り火である。大文字というよりもK文字に近い。火の数だけ御霊を送るような気がする。そのうち火の粉の数だけになるのだろうか。
2022/08/16