今日、9月9日は重陽の節句、節句の花は菊である。「9」は易経の陽(奇数)の王者だから、重陽である。本当は陽が重なると後は陰に戻るしかなく、凶兆なのだが。それはともかく、「秋だから静かに読書」のイメージが浮かぶ。
そんな今日、ネットのニュースを見ていると、東京の書店の象徴だった八重洲ブックセンターが来年3月で閉店だとか。八重洲周辺は再開発の只中にある。その流れの中での閉店だそうだ。どこかに移転したい、つまり本当の閉店ではないそうだが、どこに移転できるのかは、まだ決まっていないとか。
八重洲ブックセンターは僕が東京に出稼ぎに行ってすぐに開店した。ネットのニュースによると、1978年9月だそうだ。僕が東京に行ったのは1977年3月末だから、その1年版後である。
その開店は嬉しかった。ミーハーではないので、開店の日にはいかなかったが、少し後に行くと、すごい本の山だったのを思い出す。その店を作った鹿島建設を尊敬した。
思い出すと、子供の頃は郡山の元繁華街に遠山書店があった。お金がなかったので(子供の小遣いでは本は買えなかったので)、たまに行く程度だった。中高の時には奈良の餅飯殿(もちいどの)通りと三条通りの交差点付近に駸々堂があった。下校の途中によく立ち寄った。国土地理院の地図も置いてあったのでお世話になった。
大学の時代は今出川通りと寺町の古本屋によく行った。もちろん大学の正門近くの吉岡書店(だったかな)にも。
でも驚いたのは大阪に行った時である。梅田近くの旭屋に出会った。非常に大きい。就活で大阪に出向いたついでによく通ったし、就職してからの3年間も、実家から逆方向だったにもかかわらず、頻繁に通った。当時の会社は17時頃で終わり、時間もあったことだし。
そんな中、八重洲ブックセンターはまさに「度肝を抜く」大きさだった。見尽くすことができない。そんな本屋は生涯で初めてだった。地下には豊富な地図がある。階を上がるとマニアックな出版物もある。パソコンの時代になると多様なCDやDVDもあった。いろいろと買ったものだ。
とはいえ、ネットの時代になると行くことがほとんどなくなった。アマゾンをはじめ、余程のことがないかぎり間に合う。むしろ神田神保町の古本屋の方に足が向く。その古本も、今は題名さえわかれば大抵のものは入手できる。
八重洲ブックセンター、来年に閉店した後、もう一度近くで再開店してほしいものだが、うまくいくのかどうか。いずれにしても東京駅の名物が、当面かどうかはともかく、1つ消えてしまう。
2022/09/09