川北英隆のブログ

倉田勲氏の逝去

昨日、新株価指数の関係者と集まり、一歩前進の内祝いをしていたところ、かつて金融財政事情研究会の理事長だった倉田勲氏が亡くなったとの情報を得た。倉田さんと直接会ったのは2012年が最後だったかと思う。
2013年1月に倉田さんを交えた会合を予定していたところ、当日に事件が発生し、倉田さんが急遽欠席となった。事件とは、金融財政事情研究会が実施したファイナンシャル・プランニング(FP)技能検定試験の試験問題の漏洩である。研究会のトップが会合に参加するどころでは当然ない。
倉田さんは長らく金融財政事情研究会の重鎮だった。1988年に初めて会った時、すでに貫禄があった。でっぷりという貫禄ではなく、やり手という貫禄であり、相当の年長者という雰囲気が漂っていた。
今回初めて年齢を調べるのだが、ネット検索すると1941年誕生とあるから、僕より「たった9歳上」でしかない。1988年当時は47歳だったわけながら、50歳代半ばに見えた。当時、研究会の専務理事だったとあるから、その役職の為せる技だったのか。
1988年、その前年にアメリカ経済を揺るがした株価の怒涛の下落、すなわちブラックマンデーと先物取引やオプション取引との関係を調査するというので、金融財政事情研究会が主催し、金融機関の(比較的?)若手が集まり、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、サンフランシスコ、(その他)を訪問した。現地ではゴールドマン・サックスの世話になった。倉田さんも参加した。
調査の内容はともかく、今でもその調査団の数人かと親交が続いている。感謝である。実は2013年の倉田さんを交えた会合も、その調査団の同窓会だった。
その事件の後、同窓会は終息に向かった。倉田さんも体調を崩されたと聞いた。ご冥福を。
今年はいろいろ訃報が届いた。この倉田さんで、僕にとっての7回目の寅年を終えたいものである。
追記:倉田さんとは2013年11月にあったことを思い出した。『「市場」はなく「企業」を買う株式投資』の上梓を記念してパーティーを金財の本社ビル(信濃町)で開催した時、倉田さんが顔を出した。金融財政事情研究会の理事長からは外れていたが、依然として重鎮然としていた。その後、日本ファイナンス学会の年末の理事会の時に、ひょっとして少し顔を見たかもしれないが、覚えていない。

2022/11/22


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