決算について、上場企業が廃止を願う四半期開示の変更案が示された。当面、四半期開示を四半期短信に一本化する。その後、四半期短信を任意として代わりに適時開示を積極的に使うことを検討するらしい。「いやはや、自分たちの株価を下げたいのかな」と思う。
四半期開示とか、四半期決算短信とか言われても一般投資家にはピンとこない。二重行政と考えればいい。四半期開示は法令で定められた企業情報の提供、決算短信は証券取引所によって求められた企業情報の提供である。投資家にとって、細部を除けば両者は情報内容としてほぼ同じである。違いは公表時期であり、決算短信の方が早い。四半期開示は監査法人のチェックを受けるため時期が2ヶ月程度遅い。
この2つを決算短信へと一本化するのには賛成である。重複しているからである。ただし、決算短信は監査法人のチェックを受けないため、虚偽記載への誘引が高まる。だから虚偽へのペナルティーの強化が必要だろう。現在は緩くなっている証券取引所の上場廃止基準の厳格化が求められる。
他方、今後の検討によって決算短信が任意になる場合、決算短信さえ出さない企業に対しては警告が必要になる。「株価が下がるやん」「株価を本気で下げたいのかいな」と。
「情報がない物に対して、あえて高い金額を払い、それを買おうとする者はいない」のは常識である。この理由は、売手にだまされる可能性が十二分にあるからに過ぎない。むしろ「情報を出さない」のは怪しすぎる。悪い情報を隠している可能性が高いと疑われる。
経済学的には、情報の非対称性(売手もしくは買手のどちらか一方に、売買対象となる商品の情報が偏っている状態)として有名である。情報の非対称性が大きければ、投資家は大きなリクスプレミアム(リスクへの対価、この場合は株価の割引)を要求する。
経営や経済の論理に無知な上場企業の経営者といえども、この程度の常識は持ち合わせているだろう。この常識を株式投資に適用すれば、「情報の少ない企業の株式を、あえて高い金額を払って買おうとする投資家はいない」「安ければ、つまり大きく割り引いてくれれば買おうとするかもしれないが」である。
付け足せば、多くの日本企業が四半期の決算短信を止めてしまえば、日本全体の株価が下がってしまい、今でも風前の灯火に近い日本市場の世界的地位が、本当にマイナー市場として埋もれてしまう。政府の「貯蓄から投資へ、銀行預金から証券投資へ」の流れに逆らうことになる。
なお、四半期ごとに決算情報を公表することが投資家の短期志向を強めるとの意見には同調しない。実態はそうかもしれないが、それは経営者が目先の決算状況だけを語るからであり、「中長期的な流れの中で今四半期は・・」語らないからである。上で述べたように、四半期ごとの情報提供は投資家にも企業にもハッピーな状態をもたらしうる。
また、適時開示を積極的に使うことで回避できるとの理由で将来の検討を行うようだが、決算短信さえ出したくないような企業経営者が、適時開示にどこまで真面目にとりくむのかは怪しい。
経営者にとって都合の良い情報だけを適時開示だとして投資家に示し、都合の悪い情報をできるだけ出さない態度が考えられる。
将来、万が一というか億が一、決算短信が任意になり適時開示に一本化されるとすれば、それは適時開示に対する罰則強化、たとえば上で述べたような証券取引所の上場廃止基準やプライム市場の上場基準を厳格化することとのセットだろう。
上場企業の経営者として、とくに経済と経営のリーダーだと自称している経団連企業はもっと真面目に情報開示のあり方を考えるべきである。ひょっとして経営者には投資家としてのリテラシーがないかも。とすれば小中学生に混じって金融リテラシーを学んでもらわないといけない。小中学生から「一緒にすんな」との声が届くかな。
2022/11/27