まずは忌部山を目指した。最寄り駅は近鉄南大阪線の坊城である。京都から近鉄を使うと、橿原神宮前まで直通がある。そこで南大阪線に乗り換え、2駅目である。
坊城には親戚がある。父親の叔母さんが坊城に嫁いだと聞いている。今も遠い親戚が駅前で診療所を経営している。また父親の弟が継いだ家もある。その叔父さんは亡くなったが、義理の叔母さんが健在のはずである。近くなので、その義理の叔母さんの家の前を通った。
M君が言うには、坊城の横を流れる曽我川の桜は一面に咲いて綺麗だとか。確かに川に沿って大きな桜の木が並木になっていた。
忌部山を訪れた理由には、地形図に山名が付されていることのほか、もう1つある。小学生の頃、夏休みに坊城の親戚に泊まり、近くの丘へと親戚のお爺さんに連れられて虫取り行った。「その丘がひょっとして忌部山かな」と思ったからである。
その忌部山へは南側から登る。昔の村落が残る光陽町の真中付近に神社(八王子神社)への参道があるので、まずはそれをたどる。石段を登ると神社の門的な建物があり、その奥に社殿がある。中には入れない。
忌部山へは社殿を囲う塀の外側を回り込む。社殿の奥側(北側)は孟宗竹の竹藪になっている。踏み跡をたどって高みを目指すと、すぐに金網と有刺鉄線の柵にぶつかる。元々は山頂部だけを囲っていたようだが、今はその下も囲い、二重になっている。
その忌部山(109m)の山頂部はというと、コンクリートで固められた平らな空間になっているようだ。塀を乗り越えることも考えたが、そこまでする必要性にも乏しいので、外から写真を撮って終わりにし、往路を戻った。
その後、南東に歩き、ついでなので新沢千塚の古墳群を少しだけ見学した。橿原市がごみ焼却場を建てるに際し、古墳群を整備して公園化したようだ。雑木林の中に小さな古墳が点在している。そんじょそこらにはない、奈良ならではの景観である。
ここまで歩いて少し記憶がよみがえった。大した虫の収穫もなく戻ったのだが、帰り道に小高い丘が見え、「こっちの丘のほうが良かったのでは」と思った記憶である。
その小高い丘が忌部山だったのだろう。忌部山の麓は標高70mくらいだから、40m程度の標高差の丘である。子供の目からは高く見えるはず。そして虫取りのために登った丘が、整備される前の新沢千塚の一角ではなかったのか。
虫取りの日は暑い一日だった。親戚の家はよろず屋だったので、戻ってから冷たいものを食べた(飲んだ?)。その清涼感もよみがえった。
上の写真は柵越しに見た忌部山の山頂部である。下は貝吹山から見た忌部山である。真ん中に煙突のような縦長の建造物が見える。それが橿原市のごみ焼却場であり、その後ろの丘が忌部山である。
2022/12/02