合流した車道を北に歩き、六番の村を過ぎると分岐がある。右(東)に折れ、少し下ると七番の南端に出る。工場があり、その北端に細い車道が東に分かれるので、それに入る。工場の端、右手に比較的広い山道がある。事前の調べでは、クノスケへの登り口である。
その道に入り、南向きに尾根へと登る。広葉樹が多く、落ち葉が深い。あまり歩かれていないものの、広くてしっかりした道が続いている。やがて道は北東に向きを変える。途中、七番の中心部から登ってくる道を併せ、559mの独立標高点ピークに上がっていく。
本来の道はそのピークを越しているのだろうが、今回はその手前から細い踏み跡に入った。稜線が559mピークから南東向きを変えることから、ショートカットしようとの踏み跡である。
ピークを巻き終え、再び稜線に出ると、しっかりした道に合流する。その後は迷いやすい箇所も少ない。国見岳と同様、比較的大きな花崗岩が点在する。ただし植林も目立つ尾根で、国見岳の登りほどは楽しくない。
尾根に背の低い笹が目立つようになり、登るとクノスケの山頂だった。三角点(585.7m、点名は野殿村)がある。山頂の東側は植林である。展望はない。
山頂で昼食にしたところ、曇り始め冷えてきたで、早々に北東へと下った。道は整備されている。と、あっけないくらいすぐに林道に出た。茶畑の横である。後は林道を下るだけ。林道の横に水が流れ始めると、弁天池と呼ばれる溜池に着く。野殿の村の南端である。池の中に祠がある。冬なので水面下に沈んでいたが、季節になるとコウボネが現れるらしい。
その池の横は車道であり、東海自然歩道でもある。それを南に下る。途中、「野殿旧道の磨崖仏」の表示があった。それに向かって少し歩いたものの、時間がかかりそうだったので諦めた。大河原から奈良への列車は1時間に1本、あまり余裕がなかった。
その少し先で大河原への旧道に入った。広い踏み跡が大河原へと下っているが、あまり踏まれていない。野殿からの車道に車がなかったから、旧道に入るのは稀に登山者程度か。
ジグザグに続く旧道を下り終えると沢に出る。かつての橋なのか、コンクリートの橋脚が残っている。その沢を左岸から右岸に渡ると車の通れそうな道に出た。沢沿いに下ると、行きに渡った国津神社上の橋のたもとに出た。
帰りは橋を渡らず直進し、村中の道を旧国道まで下った。これまで2回、村中を通る道を見つけていなかったこともある。途中、線路を直に越える部分があった。つまり踏み切りがない。子供の頃の田舎の道の雰囲気である。「これでは人家の玄関に行く道と大差ない」、「入り口を見つけられなかったのも無理はない」と納得した。
旧国道に出ると駅も近い。駅への途中、南山城村の農産物直売所に寄った。
上の写真はクノスケの山頂である。下は野殿の池(弁天池)と祠である。
2022/12/08