川北英隆のブログ

平和のハラスメント

なんちゃらハラスメントという表現が氾濫している。最初の使い方はセクハラだったと思う。この使い方は、多くの場合に納得できた。しかしパワハラやアカハラになってくると疑問が湧いてくる。
セクハラに関して、昔から「変なの」と思っていた言葉がある。「男やから、こうしろ、ああしろ」と言われたことである。わざと逆らうことはしなかったが、従うこともなかった。
多くのセクハラの場合、それを裏打ちするものとしてパワーがある。物理的な力であり、権威的な力である。時には法的、社会慣習的なパワーも加わるから、個人として逆らう難易度が高い。だから社会的な流れとしてセクハラを打破する必要がある。
これに対し、通常のパワハラ(アカハラもその一種)はどうだろうか。一例として、教育的な指導をパワハラだと勘違いしていないだろうか。「こんな書類、あかんで」と即座に言われるとか、無言でゴミ箱に捨てられるとか、そういう行為で成長した話はたくさんある。
瞬間、「けしからん上司や」と思うものの、しばらくして振り返ると、「こちらに非があった」と納得することが多い。この時の瞬間的な「けしからん」を、今の風潮がパワハラだと勘違いしていないだろうか。
瞬間だけでなく、その後も「けしからん」と思えることも当然あろう。アカハラで言えば、助手や学生の成果を、あたかも自分の成果のように見せかけて論文発表する教員である。会社でも部下に作らせた書類を、あたかも自分が独自に書いたようにして重要な会議に諮る上司である。
そんな場面でいつも思う対応策がある。
1つは、そんなパワハラ上司に対して全力を尽くさないことである。手抜きして、上司がブラスアルファに思い至るのかどうかを試すのである。パワハラ上司の能力評価である。不十分なまま対外的に行動したのなら、それは上司の落ち度になる。
もう1つは、そんな上司と縁切りすることである。転職先を探すことでもあろう。そのときに役立つのが、パワハラ上司に対して全力を尽くさなかったことである。残しておいたブラスアルファが転職への切り札となろう。
ハラスメントは、子供だったら物理的な喧嘩になろう。大人だからそんな喧嘩はしない。とはいえ、もっと本格的な喧嘩である。
パワハラとか他のハラスメントとかいう訴えの多くは、喧嘩をしない社会、平和な社会を象徴する言葉ではないだろうか。ある意味、コップの中の平和を守りたい、そのコップの外には出たくないという、内向きスタンスを如実に表現している。

2023/02/27


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