3/7、日本のH3ロケット1号機の打ち上げが失敗した。2/17に続いて2回目の失敗との声もある。1回目の「失敗」はともかく、今回は本当に失敗してしまった。何があったのか。
直接の原因の究明はJAXAをはじめとする専門家に任せるとして、気になるのは、その製造担当が三菱重工だということである。というのも三菱重工はつい先頃、ジェット旅客機の開発を断念した。大きな物を、つまり部品点数の多いものを設計し、組み立てる力があるのかどうか疑問である。
三菱重工にその力がないとすれば、日本に代わりの企業があるのか。「ない」と言うのが正しいのだろう。残念である。
何故、日本に力がないのか。思うに、1つは大局観の欠如があると思う。
製造業でいえば、日本は部品を作るのは得意である。多くの部品会社が世界で活躍している。しかし、複雑な製品では日本企業の活躍が見られない。航空機やロケットが代表だろう。また部品に含められる半導体でも日本企業の存在感が乏しい。部品といっても半導体は複雑な部品だからだろう。
システムの設計も不得意である。アップル、アマゾン、グーグルのような企業が登場しない。この背景には、やはり大局観というか「広く見渡し、構想する力」の欠如があるように思える。シャープのザウルスがアップルの製品に近かったと思えるが、物にできず、液晶分野に特化してしまい、やがて敗退した。
もう1つは人材面の偏りにあろう。先の日本の大局観の不足は島国に育ったという民族なのか。それも一因かもしれないが、直接の要因は文系人材の優位性だろう。
中国を真似し、欧米を真似するという流れの中で、漢字や横文字を日本語に直し、日本風に焼き直す過程において、理系の人材は主流になれない。理系的な素養はあっても、使う能力は文系の能力である。それも法学部的な能力である。他国の制度を解釈し、真似して作る能力において、理系的素養は不要である。
その文系重視の流れが今でも続いている。その典型が役所だろう。中国の科挙制度に似た国家公務員試験である。総合職試験(いわゆるキャリア試験)は文系分野中心の試験である。理系の勉強は専門職になる以外、お呼びでない。
大企業も、この公務員制度に準じている。役所との人的なつながり、それを利用した特典(極端な事例としては東京オリンピックでの電通的な地位)を重視し、発展した高度成長期には、役所と同系列の文系人材が重宝だった。
文系が頭脳、理系は手足と表現してもいいだろう。この悪しき伝統を三菱重工が継承しているのかもしれない。社長には工学部出身者もなっているようだが。
いずれにしても日本の教育制度、人材制度を 見直さなければならない。人口が減少している社会においては、特に限りある資源としての人材の配置を見直すことが重要となる。
2023/03/07