先日歩いた流岡山もそうだし、以前に歩いた周防大島の大見山もそうだし、新幹線から見ている里山の風景もそうなのだが、竹藪が繁茂し放題の現場や風景や出会うことが多い。里山の手入れが放棄されているからだ。一言で表現するのなら、野良竹林がわんさかある。
温かい地域では竹(主にモウソウチク)の勢いが強い。昔、竹はいろんな用途に使われた。タケノコとして食用になるだけではない。竹材としての加工も盛んだったし、タケノコの皮も食品(たとえばオニギリ)などの包装に使われた。
今はほぼタケノコとしての利用に限定されているだろう。だから古くなった竹の茎が間引かれることも少なくなった。
タケノコを収穫するにも手入れが必要である。勝手に生えるに任せていたのでは、いいタケノコは収穫できない。そのうち竹藪の中に入れなくなり、やがて野良竹林へと変わっていく。犬や猫が野生化するのと同じだろう。そんな野良竹林が今の日本にはやたらとある。
カミさんが録画したテレビを見ていると、そんな野良竹林を以前の里山に戻そうとの活動があった。竹をすべて伐採し、そこにクヌギなどの広葉樹を植える活動である。でも、竹の根をどうしたのだろうかとの疑問がわく。その根を処分しないことには、竹の生命力は強いので、すぐに復活する。
ネットで調べると「竹を地上高約1mで切って枯らす方法」というのがあった。要は葉の付いた部分をカットする方法である。「そんな状態になったことを知らずに竹が水分や養分を切られた部分から吐き出す」ので、やがて枯れるらしい。
でも、その結果はと言うと、竹の死骸が累々とするわけで、里山の再生には遠いように思える。きれいに伐採するには竹を切った後、重機を入れるしかないのかもしれない。
結論は、飼いならされた竹林は風情があるかもしれないが、野良の竹林はきたないだけでなく、厄介である。繁茂して野良化すれば、どこかの国のように領地を広げようとする。そうならないうちに制圧することが求められる。
2023/03/10