昨日、金融庁のフォローアップ会議があった。議論の中心は株価純資産倍率(PBR)に関するものと、プロ投資家の役割や意識改革だと感じたが、ついでに思ったのは企業経営者サイドの意識が焦点を外れていることだった。当事者意識が欠如している。
要するに当事者としていかに行動すべきなのか、会社が所属する経営者団体に他人事然と意見を述べさせていた。
金融庁が策定し、公表したスチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードの最大の特徴は「コンプライ・オア・エクスプレイン(Comply or Explain)」にある。つまり、示されたコード(標準的な規範)に従って行動するのか(コンプライするのか)、その規範に従うことに問題があるので、その問題点を説明した上で従わずに行動するのか(エクスプレインするのか)の選択肢が設けられている。どちらを選択するのかは企業の経営方針次第だと理解できる。
それなのに、経営者団体は「コンプライ・オア・エクスプレインの尊重を強調したい」と意見表明していた。この点は、エクスプレインする企業が堂々と、「コンプライしていたのでは商売がでけへん」と説明したら終わりである。
それなのに、自社が所属する団体を通じ、意見として言わすなんて、信じられない。経営者団体として、そんな主張をした企業とその経営者の名前を明かすのが正解である。また、「エクスプレインする企業なんてとんでもない」というプロの投資家がいたら、その投資家も堂々と名乗りを上げるのが正しい。両者とも金融庁として成敗の対象だろう。
また同じ経営者団体がPBR1倍割れに関して、「企業においてPBR を意識するあまり、例えば自社株買い等に偏重した資本政策がとられるといったことは避けるべきである」としたのも笑えた。「そんなん、団体に所属する企業に対し、団体自身が注意したら終わり」「所属していない企業なら、メディアを通じて意見表明したら終わり」と思う。要するに「金融庁の政策に文句を付けたいがための意見かな」と思えてしまう。どこかの政党みたいな態度である。
もう少し考えると、以上の意見には日本人の特性がよく表現されている。つまり「お上の言うことに逆らわない」「むしろ唯々諾々、無批判に従う」行動パターンである。コンプライ・オア・エクスプレインが認められるコードであっても、「そのコード従わないといけない」と感じてしまうのだろう。
コロナのマスクにしてもそうである。お上の指示をそのまま受け入れ、従うのは「なんだか怪しい」。状況に応じて対応すべきである。「マスクを外していいよ」との方針が出されたとしても、たとえば黄砂がとんでいたらマスクをすべきである。
自分で考え、それに政府の指示を加味し、行動を決める。これが当然なのに、日本の社会はこの当然が苦手なようだ。教育が知識の詰め込みで、天気予報も「明日はこう行動しろ」という社会だから、日本人は無頭エビに近くなっているのだろうか。
2023/04/20