スーダンとコーラの関係で思い出したのは、その昔、コーラが大好きだったことである。コーラなら1リットルやそこらは簡単に飲めた。そもそも炭酸系飲料が好きである。
結論的に書くと、「炭酸系飲料大好き」の変遷がある。小中の頃はサイダー、大学時代はコーラ、そして社会人になってビールである。
小中の頃、友達だったMA君と自転車で奈良盆地の東山によく出かけた。水が気持ちいい季節に、山裾の渓流で遊ぶためである。片道1時間近くかかっただろうか。その帰り、喉が渇くので、時々だが国道沿いにあった雑貨店で冷えたサイダーを買った。ラムネより高いが、飲みやすくて量もあったと記憶する。
何円だったのかは忘れた。小学生の頃は200ミリ程度の瓶入りが1本15円とか25円とかだったように思う。10円ではなかったはず。というのも「少し贅沢かな」と思っていたので。ネットで調べたが当時の値段は出てこなかった。アサヒの社長さんに聞くしかないのか。
そのうちコカコーラが登場した。最初に飲んだのは、一番年下のMIオバさんに連れられて法隆寺に行った時である。小学校3年くらいだったか。オバさんが妹の分を含めて3本、境内でコーラを売り歩いていたオジさんから買った。何円払ったのかは知らない。妙な味とは思ったが、不味くもなかった。その時の炭酸の強さが今も感覚として残っている。
ちなみにコーラ原液の輸入自由化が1961年10月、製品としての販売開始はその自由化の少し前、1959年だそうである(アサヒのサイト)。法隆寺のコーラは自由化の前で値段が高かった可能性がある。
いつからコーラに親しんだのかは記憶にない。高校時代の夏の水分補給は親戚から届く果物(スイカ、ナシなど)だったから、推論するに大学生になってからだろう。クラブ活動(山歩会)で北アルプスを縦走した時、山小屋でコーラをよく飲んだ。ビールが高かったこともある。
覚えているのは卒業旅行と称して夏、金持ちのボンOと訪ねたヨーロッパでのコーラである。水道なんて簡単には見つからないし、現金の持ち合わせに乏しかった(クレジットカードは持っていなかった)し、一番簡単に手に入って安いコーラを愛飲した。ミネラルウォーターなんて思いもよらなかった(水を買うなんて選択肢になかった?)。
フランスで買ったコーラは確か1.5リットルの容器入りだった。その量の多さに感動した。少し飲んでは蓋ができたから、プラスチック容器入りだったのだろうか(PETボトルが登場したのは1974年とされるから、それではない)。(ネジキャップ式の)瓶入りとの記憶からはほど遠い。この経験から、当時は「コーラなら1リットルやそこらは簡単に飲める」と思っていた。
とはいえ、下宿で同宿人と一緒に近くの銭湯に行った帰りは自動販売機でビールを買った。100円とか110円だったと記憶している。サラリーマンになり、給料が手に入ると、最初に決断(?)したのが晩酌である。実家には夕食代と一緒にビール代金を支払った。いくらだったか忘れたが、堂々とビールを飲めるようになったのは確かである。
その後、コーラは忘れてしまった。当然サイダーも。だからスーダンの内戦でコーラが絶滅しても、痛くも痒くもないに近い。とはいえ、その絶滅は僕の歴史の大きな穴となろう。
2023/05/06