城山山頂からはアンテナ施設を経て車道の合流点まで戻り、左(北)へと折れ、稜線を越した。稜線上には遊歩道が付けられているらしいが、パスした。道が汁いのと、蚊がいるからだった。それに車道も車が少ない。
車道がもう一度稜線を越える箇所から遊歩道に入った。三角点が目当てながら、どれを呉羽山の山頂としているのか分からないこともあった。ただし「稲荷社から先は工事中、通り抜け不可」の表示があったので、エスケープルートを探しつつの歩きとなる。
小さなピークを越して下ると「浅田の丘」と名づけられた広場に出る。一角に木俣修の句碑があり、反対側にヤマボウシが咲いていた。
広場から少し歩くと「中世石造物」が陳列されていた。近くの谷にあったらしい。その数歩奥に三角点(75.1m、点名は峠茶屋)があった。探さないと見つからない。
三角点から下ると右下に神社が見える。稲荷社である。遊歩道を下り、少し石段を上がると社殿に出る。狐が守っている。稲荷社の先は県道が越す鞍部である。そこに歩道橋を付けようとの工事が行われているらしい。
稲荷社から西へと集落の中を下り、県道を越えて呉羽山へと車道を登る。途中、豊栄稲荷神社に立ち寄った。峠を挟んだ向かいの稲荷社とはどういう関係か。豊栄稲荷神社は別の場所にあったのが空襲で焼失、戦後に遷座されたとある。向かいからすれば新参者となる。
その先に呉羽公園の展望台がある。晴れていると立山連峰が素晴らしいようだ。展望台の西奥が呉羽山の最高点である。大正天皇が「登山」したとかで、その時の漢詩が碑になり、建てられている。
展望台に戻り、北東へ下る。鞍部で車道が分かれる。さらに北東へ進むと三角点のある「桜の広場展望台」である。三角点を探し、広場の片隅に国土地理院の杭を見つけたのだが、肝心の標石(71.2m、点名は呉羽山)がなかった。引き抜かれたようで、標石の代わりに犬糞らしきものがあった。三角犬糞か。
一番高い部分には古くからの観光施設が建っている。それを越えつつ散策して仏像を見つけた。鞍部に戻り、後は東に向かって丘陵から下りるだけ。麓の茅葺屋根の民俗資料館を過ぎ、南南東へ歩く。車が多いものの、歩道がある。神通大橋を渡れば富山の中心部だった。
上の写真は呉羽山の山頂(最高点)である。下はヤマボウシの花である。
2023/06/18