守屋浩の恋人同様、金融機関も東京が好きである。大銀行や損害保険会社が大企業を慕って東京に集まるのは多少理解できるものの、資産運用会社(アセットマネジメント会社=アセマネ会社)まで東京に集中するのには、本当にそれで大丈夫なのと言いたくなる。
僕の知っているアセマネ会社のうち、複数社が京都に目をつけている。
A社は廃寺となった尼寺の敷地と建物を買い(仏像はどうしたのか聞いていない)、改修して研修やセミナーに使っている。そのA社の業務運営は在宅勤務が基本である。システムを用いた投資がメインなので、どこにいても勤務ができる。だから企業と従業員の所在に関する自由度が高い。元尼寺もその一環なのだろう。
このアセマネ会社の事例をB社のトップに紹介したところ、関心を示してくれた。機会を作り、元尼寺の施設を見学したいとか。もっとも、B社としての立地なのか、トップ自身の住居としての京都なのかは不明だが。
C社は京都に拠点の一部を移転したいと考え続けている。実は元尼寺の施設のことも知っている。京都の不動産も何ヶ所か見てきたらしい。残念なことにC社には親会社があり、その了解がまだ得られていない。
規模の大きなアセマネ会社は金融機関の子会社であることが多い。トップは親会社から天下るのが通例である。見方を変えれば、投資運用業務のトップとして本来必要な知見に乏しく、素人であることが多い。
しかも多くの親会社はアセマネ会社を手足として位置づけてきたから、そのアセマネ会社は中途半端な立場に置かれる。同じことは、多くの金融機関系システム開発会社と親会社との関係にも見られる。結局のところ、配属される人材の給与は親会社よりも安いから、二流、三流会社にしかなれない。海外では通用しない。
それで京都だが、文化的な魅力度が高い。海外の顧客を呼んだとして、相当数が集まってくれる。一流の給与を払うのなら、優秀でユニークな人材が集まる。
投資先企業と意見交換する場合にも不自由はない。コロナのおかげでネットでの会話手段が発達したからである。海外の状況を調査し、分析する場合、ネットを用いれば京都も東京も大差ない。つまりアセマネ会社の立地として、京都は東京に負けていない。
逆にメリットもある。東京では雑音が多い。聞きたくもない枝葉末節の情報が多すぎ、それを排除するだけ時間が潰される。もっと酷い場合、雑音的な情報に踊らされる。
むしろ京都にいると、そんなアホな時間を削減でき、大局観が得やすい。長期投資に大いに役立つ。イメージとして、静かな部屋で勉強や研究開発に集中できるのに等しい。
京都在住の者として、観光客に来てほしくないが、新しい住民は大歓迎である。一見さんお断りの精神かな。お茶屋やおまへんけど。
2023/07/05