僕は正規の教員でない。肩書はともかく、要は非常勤すなわち時間雇用である。とはいえ以前は常勤だった。だから常勤教員の悲哀はよくわかる。少し書いておく。
1つは事務職員と教員の差別である。どちらが優遇されているかという単純な問題ではない。教員は、「あんたは偉いのやから」という理由によって神棚に奉られている。一方の事務は、その名の通り事務が仕事である。だから事務以外の仕事は「神様みたいに何でもできる」教員の仕事となる。
何人かの知り合いと話しをして、「そうや、そうや」と互いに納得した点がある。入学志願者の筆記試験の監督業務が教員に押し付けられている不条理だ。つまり、問題用紙の配布や回収、試験時間管理、不正監視、質問の最初の受付と伝達などはすべて教員の仕事とされる。
この作業には裁量が働かない。かつては質問に適宜答えていたのかもしれないが、すべての受験生を公平に扱う観点から、今は許されない。とすれば、テキパキ感からすると事務職員の方が適している。なのに事務からは「先生、お願いします」と有無を言わさず割り振られる。
今の入試は、定員確保や文科省のお達しによる多様な人材確保の目的もあり、何回にも分けて行われる。だから入試の仕事量は馬鹿にならない。
世の中の流れから、セクハラや生命倫理をはじめとするの「なんちゃら委員会」も無数に近く設置され、その委員も神様の教員に割り当てられる。毎週どこかで委員会が開催される。複数の委員会が連続で開催されることも稀でない。
講義に対して、周到な準備の必要度が年々高まっている。かつてのように何年も同じ講義をしていると、学生から「つまらない」「工夫がない」と文句が来る。
もちろん休講は許されず、講義を休んだら補講が求められる(僕が学生だった頃とは雲泥の差)。つまり病気に罹っても、動けないくらいに酷くなければ、登校した方がいい。「教えられる側の学生はずる休みするのに、何で教える側が病気でも休めないのや」と時々怒らざるをえない。
当然、研究も求められる。論文を書かないと文科省から、また教授会から怒られる。しかも研究のための資金を自分が獲得しなければならない。大量の申請文書を書き、もしくは関係会社に説明を繰り返し、研究費を調達しないことには何も始まらない。
では神棚に奉られる教員の給与が高いのかと言えば、決して高くない。事務職より少しは高いが、上で書いた仕事量の多さからすると「時間当たりの給与は安い」。そこで、「変に教員になるくらいやったら事務の方が良かったね」となる。
給与が安いから、研究費を巡る不正、つまりちょろまかしが多発する。教員の地位が本当に高く、給与も高ければ、クビを覚悟で研究費をちょろまかそうなんて誰も思わないだろう。しかし今の教員の地位は名実ともに低い。だからクビになっても大損ではないと考える教員が多いのだろう。
今年の教員に賃上げが到来するのだろうか。某私立大学の場合、とりあえず賃上げがなく、数万円の特別手当が支払われたとか。1%の賃上げの半分程度の、「物価上昇手当」である。
小中高の先生も同じようなものだろう。とくに公立はそうである。こんなことでは教員のなり手はどんどん減る。まさに「就職先がないさかいに、教員にでもなるか」である。教員不足、研究者不足を嘆くのなら、まずは彼/彼女らの処遇から見直さないといけない。
2023/07/08