少子化対策を政府が議論している。そこで抜けている視点は、子供にとって何が幸せなのかである。経済的な観点、親の観点からの議論は、一番大切なものを無視している。
今日、街を歩いていると、子供を自転車に乗せようとしている親に出会った。それに乗せられる子供がはしゃいでいた。僕の子供の頃を思い出しても、「そらそうや」と思う。猫でも犬でも、飼い主と一緒の時が一番生き生きしている。
少し前に書いた僕の友達の鍵っ子、ODは、その家に遊びに行ったかぎりでは本当の意味で幸せそうではなかった。猫や犬はもっとはっきりしていて、飼い主が数日留守をして帰ると、「なーーにしてたんや」とばかりに、猫にもかかわらずいななく。
保育所もあるが、親代わりの保育士1人に子供が複数いる。保育士と馬が合えばともかく、合わなければ悲惨である。僕なんか、多分合わないな。つまり保育園を充実させよう、そこで子供を預かろうという政策は、多分子供には迷惑である。迷惑でないにしても、焦点がずれている。そこまで政府は考えているのだろうか。
もちろん親が近くにいると、それを子供が鬱陶しいなと思ってしまう状況もありえる。でもそう思う頻度は保育士の場合よりも少ないだろう。親はかなり適切に妥協してくれるが、保育士は(僕が保育士なら多分)いい加減な妥協点を見つける程度だろう。もしくは無視だろう。
親としても、子供と過ごす時間が長くなり、楽しいと思えば、子供に妹か弟を与えようかと思うだろう。十分な少子化対策になる。
一番いいのは、親が住居に近接した職場を見つけることである。これを支援するには、企業が東京圏を離れることが一番である。企業が東京圏を離れても、今や大した支障がないはずなのに、その動きは遅々としている。
政府も東京を離れたがらない。文化庁を京都に移したことを大胆な施策のように訴える。最初の一歩にすぎないのに。政府主導は好きではないが、政府か率先して地方に分散していいのではないか。そうすると日本の企業のことだから、その後を追いかけるに違いない。
いずれにしても、親とかなりの時間一緒に過ごせている子供の、生き生きとした顔を見たいものだ。
2023/07/12