川北英隆のブログ

株式投資は実践あるのみ-2

今の子供の教育環境は貧弱である。多様性にも欠けている。僕が子供の頃、同級生にサラリーマン家庭は多くなかった。家が商売をしていると、自然と金銭感覚が身に付く。サラリーマンの子供であっても、時々は同級生の家の商売が話題になる。
僕の実家は零細な製造業を営んでいた。手形や小切手が身近にあった。帳簿もあり、請求書や領収書もあった。集金もさせられた。
サラリーマンの家庭でも、当時の給与は現金払いで、それを父親が家に持って帰り、母親に渡すという方法だった。僕がサラリーマンになった時代も、しばらくは現金で支払われた。庶務の女性が別室に入り、給与を袋に詰めていた。
こんな環境に育つと金銭は身近である。「金融リテラシー」なんて叫ぶ必要もない。複利計算という概念を知ったのはいつ頃だったか。とはいえ当時の金利が高かった時代、郵便局の定額預金が10年で倍になって返ってくるというのは有名な話だった。「何でや」と考えると、複利という言葉は知らなくても、原理は理解できる。
そんな時代、父親が株式を保有していたおかげで、僕にとっても株式は身近だった。父親は海運会社が好きだった(船員になりたかったらしい)。そのため、株価が下がる株式にも親しんだ(当時の海運株はぼろぼろだった)。
もちろん株価の上がる株式もあったし、大半がそれだった。「これはボロい、寝てても暮らせる」と、株式で億万長者になり、遊んで暮らすのが夢になった。あり余る時間で野山を駆け巡ればいい。
しかし子供には株式を買うお金なんてない。仕方なしに、時々親に「これ買え、あれ買え」と指図するだけだった。
自分で最初に株式を買ったのは大学1年生の時だった。住友金属鉱山を買い、売却した利益で革の登山靴を買った。元手は貯めていた小遣いだったと記憶している。
その株式投資の実践が今日まで続いているのだが、残念ながら天才相場師でもなく、遊んで暮らす夢は実現しなかった。長期投資で財産を少しずつ増やすという、並の投資家の域を出ない。
そもそも毎日、毎時、株価とにらめっこする意欲も気力も趣味もない。そんなことで神経をすり減らすのは、たとえ遊んで暮らせるほどの資産ができたとしても、ろくなことにはならないはずだしと。そう強がったおこう。

2023/08/12


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