川北英隆のブログ

過酷な大都市勤務

昨日の早朝、東京に出掛けた。日本橋界隈ではサラリーマンがもくもくと歩き、勤務地に向かっている。太陽が高くなる時間帯の出勤である。「僕もかつてはこんな風に出勤していたのや」と思いながらも、でも「酷暑化の中での通勤やなかったな」と思い直す。
僕の場合、通勤に下手すれば90分くらいかかったから、「通勤とはスポーツの時間や」と割り切っていた。だから、足首に重りを巻いて会社に通ったりもした。帰りは睡眠の時間であり、そのため東京駅始発の中央線に乗った。
もっと言えば、行きの電車は考える時間でもあった。スポーツの時間だとしても、電車の中では身動きできない。仕方ないから、いろんなことを考えた。車窓からは刺激が得られ、天気が良ければ関東平野の西北から北にかけての山が見えた。その山の姿も楽しみだった。
今はどうなのか。
車内で考えたり、見たりする時間は当時も今も同じ程度にあろう。とはいえ、電車中ではロスもある。家でパソコンに向かって考える方が、絶対に効率的である。そこまで時間を活かせられるかどうかの問題はあるだろうが。
車窓からの刺激があるとはいえ、毎日同じ風景が繰り返され、進化は少ない。通勤時間を削減できれば、その余った時間を新たな知的刺激に使える。
加えて、今の大都市の環境は異常である。「こんなん、日陰を探さなんと歩いてられへん」と思う。昨日の日本橋も日陰を歩いた。実は今年、日傘をユニクロで入手したのだが、今夏の太陽の下では「日傘は飾り」としか思えない。下からの照り返しと輻射熱、顔の周りの熱気は中途半端でない。
こんな異常な熱気の中を通勤させるのは、通勤のための通勤以外の何物でもない。偉いさんは社用車、昔で言えば籠での通勤だからほぼ何も感じないのだろうが、現実はと言うと、籠で通勤しない社員の気力を十分に削ぎ、その結果、生産性の向上なんて夢のまた夢に行きつく。
草木も枯れる江戸夏時というわけか。ツツジなどは本当に枯れている。
たまに会社に出ていくのは賃金をもらっている以上、仕方ないとして、もっと自由な仕事の仕方を工夫すべきである。中長期的には職住接近を促すべきである。
内閣府も、熱中症警戒アラートに際して、不要不急の外出は避けるようにと言っている。誰かが高校野球と放送に疑問を呈していたが、その前に酷暑の中の通勤に苦言を呈するべきだと思う。

2023/08/05


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