関東での知名度の程度は不明ながら、少なくとも関西では鯖街道の名は知れている。旅行会社も鯖街道ツアーを企画、宣伝している。
先週歩いた二の谷山の麓の村、保坂(ほうさか)はその鯖街道のお膝元である。とはいえ村は瀕死の状態にある。村の入口にある郵便局は開いているのか閉まっているのか見分けがつかない。郵政事業のユニバーサルサービス制度がないと、たちまち閉店だろう。
村から小浜への街道が鯖街道であり、すぐに水坂(みさか)峠を越え、熊川宿を経て小浜まですぐである。かつて(中学生だったか)父親の車で、小浜への釣りに同行したことがあった。その頃の国道303号線は保坂を通り、水坂峠を越えていた。
当時の風景はまったく頭の中から消えている。1965年前後だから、日本は青年期にあった。もしも60年近く前にスマホがあったのなら、小浜や保坂を記録しておいただろうにと、残念である。
ここ数日の二の谷山のブログで書いたように、保坂は交通の要衝だった。この村で、朽木経由京都への最短コースと、琵琶湖周航の歌の「今日は今津か長浜か」と登場する琵琶湖の港、今津への街道が別れていた。
その分岐点に少し小洒落た建物がある。二の谷山からの帰り、何かと思って見たところ、鯖寿司を食べられる休息所、昔で言う茶屋だったらしい。しかしコロナの影響があったのだろう、廃業して売り物件になっていた。
今年の春に訪ねた朽木でも開いている鯖寿司の店は少なかった。街道を行く観光客が少なく、かつ鯖が高い食材に成り上がったのか。
保坂の話に戻ると、水坂峠へ上がる途中、金毘羅宮跡と庚申塚がある。旧街道沿いの説明書からはかつての賑わいが伝わってくる。
保坂から少し外れると、JRバス停の保坂の手前は追分である。しかし追分らしきものは何もない。民家さえない。調べたところ、かつて追分という村落があり、今津への街道で、もう1つ別の街道とを分けていたらしい。その村の大半が昭和に陸上自衛隊の演習場となり、消えたようだ。村にあった山神社は遷宮され、今は同じ高島市の酒波村の日置神社に祀られているとか。どこかで聞いたような。「君の名は。」か。
鯖街道の名は残り、知る人も多くなっているのだが、元の街道から鯖は消えつつある。現代の鯖の生き腐れのように思えてくる。
写真は水坂峠からの下りで見た保坂の村である。
2023/08/07