川北英隆のブログ

終戦記念日に思う

「終戦記念日」とは客観的な言い方ではない。敗戦記念日と言うべきだが、それも変だから終戦記念日なのか。記念を取っ払い「敗戦の日」とでも名付ければどうか。「海の日」「山の日」もあることだし。そんな今日、読売新聞のネットにインパール作戦の映像を見つけた。
1つは「最も無謀とされたインパール作戦 ---100歳超える生還者の訴え---」と題されている(今日アップされようだ)。まだ生存者がいるのだと感心した。でもよく考えると、僕の父親が生きていたら、今年105歳である。インタビューを受けた生存者は104歳とあったから、父親とほぼ同年の方のようだ。
それと関連する映像に「戦後70年に学ぶ 『ミャンマー白骨街道のいま』---インパール作戦の退却路」というのを見つけた。実際にミャンマーで取材した映像のようなので、それもついでに見た。というのも、いつかミャンマーからインドのインパールに入りたいと思っていたものだから。
映像は2015年のものである。昭和天皇の敗北宣言が1945年だから当然そうなのだが、そんな計算もせず、映像の字幕で取材年を確認した。
白骨街道はかつて有名だった。父親も戦友との酒の席でよく語っていた。そんな地域に取材できるなんて、できれば加わりたかった。その取材は、ミャンマーはチン州の村、ティディムの近くで行われたようだ。インパールまで200キロ少しあるだろうか。
実はその当時、バンコクに住んでいた友人Fと、「ミャンマーに入り、インパール方面に抜けたいね」と相談していた。2015年の年末、タイから陸路でミャンマーに入ったのも、その計画の予行演習的なものだった。後はミャンマー側の許可を取り、インドに向かう段取りだったのだが。
そんな準備をしている最中に友人が亡くなった。同行者をどうしようかな(1人では嫌だし)とぐずぐずしているうちに、ミャンマーの政情が怪しくなった。今となっては「ミャンマーからインパールへ」は夢物語だろう。だから、読売の取材班が2015年当時、我々が計画していた地域に入ったのだと感心しつつ、かつ父親の目線も交え、映像を興味深く見た。
もっとも、ティディムという村を父親は通っていないと思う。父親が退却したのはコヒマからである。どのルートを命からがら逃れたのかは、父親の書いたものを真面目に読んでいない僕としては、まだ知らない。
「ミャンマー白骨街道のいま」に出てくるティディムとインパール付近の地図をグーグルからコピーした。アップしておく。
20230815ティディムからインパール.jpg

2023/08/15


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