堰堤を反対側へと歩き、霊山(れいざん)へ向かう。やはり堰堤には「通行禁止」とあり、東海自然歩道は堰堤を下れとの表示がある。1組の登山者が下りていくのが見えた。
田代湖側から霊山へは複数のルートがある。今回は一般的な直登ルートを使った。ダム湖の西側を600mほど歩くと、廃墟と化したキャンプ施設がある。先に横切った車道に出る。かつて田代湖はリゾート地としても開発されたのか、地形図にはこの車道に沿って建物の印が点在している。
キャンプ施設の北側に「霊山分岐」の表示がある。ここで車道から左(西)へと植林の中を登る。最初は緩やかだが、そのうち急になる。尾根に出ると、そこから比較的平坦な広葉樹林の中の道になる。緩やかに登り、霊山の南峰と北方の鞍部に着く。鞍部を下ると霊山寺、右(北)に登ると霊山である。
鞍部から右に100m少し登ると、左手に石段がある。それを上がり、霊山の山頂に達する。山頂は草原になっている。その西の端に一等三角点(765.5m、点名は霊山)がある。
山頂からは上野盆地、比良、比叡、台高、曽爾の山々、青山高原の姿があった。局ヶ岳らしき三角形が頭を覗かせていた。残念ながら逆光かつ霞が少しかかっていたが。
霊山の山頂には天台宗の大伽藍が建っていたとされ、その遺跡が残っている。今は登山者とシカの遊び場である。奈良公園的にシカの糞があった。
夕暮れが近いので、帰りは霊山寺コースを諦め、山頂のすぐ北側に建つ国土交通省無線中継所の横を通り、そのメインテナンス用の舗装道路を下った。急勾配である。すぐに植林の中の谷筋を下るようになり、それを抜け出すと平坦になる。振り返ると霊山が大きい。
沢を渡り、車道を道なりに歩き、名阪自動車専用道の下をくぐる。そのまま直進して坂を上がっていくと集落の中に入り、柘植駅に出た。
霊山には1989年12月30日に登っている。東京から奈良へ帰る途中、名古屋から関西本線に乗り換え、柘植で降り、登ったと記録にある。
どう登ったのか、詳細な記録はないが、今回歩いた車道を往復したようだ。道横にたくさんゴミが廃棄されていて汚かったから、「二度と来る山ではないな」と思った記憶だけが鮮明である。その山に、それも同じ道をもう一度歩いて登るとは。しかし今回、当時の汚さはなかった。
ついでに書くと、翌年の1月3日、東京に戻る時に養老山に立ち寄った。山頂付近に雪が積もっていた。このことは2021年6月2日に記した。こちらは近鉄の桑名経由だった。
上の写真は霊山の山頂である。背景に上野盆地が見える。下は伽藍の遺跡である。
2023/10/21