川北英隆のブログ

どんな株式を買ったのか

株式投資に関して、「短期投資はダメ、長期投資が正解」と話している。最近、政府が株式投資に熱を入れているものだから、個人投資家向けのセミナーに呼ばれる機会が時たまあり、その時のことだ。でも本音は、僕自身、少しだが一攫千金を狙って株式を買った。
どんな企業の株式を買ったのか。思い出してみた。
自分の資金で買ったのは、大学1回生の時(1970年)の住友金属鉱山である。80円くらいだったかで1000株買った(親に注文させた)。当時は1000株単位でしか買えなかった。貯めた小遣いを全額近く引き出したと思う。しばらくして10円少しだったか、値上がりしたのですぐに売り、その儲けを登山靴に変えた。1万円した皮製、ただし少し傷ありだった。
今では住友金属鉱山は立派な企業である。鹿児島の菱刈金山で運が向いた。だが当時の住友金属鉱山は、別子銅山によって住友の礎を築いた企業ながら、鳴かず飛ばずというか鉱脈の尽きた企業だったと記憶している(1973年に別子銅山と鴻之舞金山を閉山)。
一方で「鉱山=山師」という一般のイメージもあり、一攫千金狙いにはふさわしかった。住友の元祖でもあり、当時は精練が主力なっていたので簡単には潰れないだろうとも思った。そんな一攫千金を夢見たのに、たった10円程度の値上がりで売ったのは、現実主義者だった証拠かも。その10円を登山靴に変えたのは、やはり山師の血の影響か。
ついでに書くと、住友金属鉱山は1981年に今の菱刈金山を発見し、大幅に値上がりした。登山靴のために売らずに長く持っていれば、一攫千金とはいかないまでも、一攫十金くらいになったのにと思う。当時は証券アナリストをしていた。住友金属鉱山の担当ではなかったので、そのニュースを調査担当者から聞き、内心ガッカリだった。
もう1社だけ、趣の異なる企業として日本通信建設(今のコムシス)を挙げておく。これも確か大学時代である。自分の数万円程度の資金では株式を買うにも限界がある。そこで住友金属鉱山以降、親の資金で株式を買わせていた。
当時、日本通信建設は500円額面で(普通の企業は50円額面だった)、電々公社の下請け工事を行っており、いろんな意味で地味だった。とはいえ固定電話需要は伸びていたから、業績は安定的に成長していた。会社四季報で調べて見ると「安値で放置」だった。
それで親に買わせようとしたのだが、親が発注を間違った。500円額面だから100株単位で買えたのに、1000株の買い注文を出した。人気薄の日本通信建設に通常の10倍の買い注文を出したものだから、値段が上に飛んだ。
いわゆる誤発注で大損するパターンである。証券会社の担当者も日本通信建設なんて知らなかったから、1000株の注文をそのまま通したのだろう。幸い指値注文だったので、「買えない」との連絡が証券会社からあり、親は誤発注に気づいた。
その日、100株だけ買えたのか、翌日に100株で買い直したのかは忘れたが、長らく親が保有していた。損はしなかったものの、大して値上がりもしなかった。
地味な株には、普段出会えない体験が付いてくる。一攫千金狙いの株にはない、それなりの地味な儲けも付いて。

2023/11/12


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