川北英隆のブログ

笹目倉山へ

東武日光線は長い。行きは南栗橋で乗り換え、下小代(しもごしろ)まで普通電車だけで向かったところ、東京の真ん中付近から3時間かかった。帰りは下小代より1つ日光寄りの明神駅から乗り、新鹿沼で特急に乗り換えたのだが、それでも2時間半近くかかった。
新鹿沼で大勢の高校生が降りた。下小代ではゴルフ場に行くため3人組と僕が降りた。
東にある改札を出て、木材工場の周囲を反時計回りに歩く。女峰などの日光連山が頭を見せていた。県道に出て南に下る。行川(なめかわ)の手前で県道が分かれる。右の県道に入り、橋を渡る。小さな峠を越えると黒川の流域である。
右手に石尊山の稜線と、その奥に鋭角的な笹目倉山が見える。左手には一等三角点の山、羽賀場山(はがばやま)が大きい。これらの山容を楽しみながら、ただし時々通る木材関係の大きなトラックを避けながら歩く。
大きな貯木場と広域導水路の工事現場を過ぎると、両岸に山が迫ってくる。やがて右の高台に建物が見える。清流園という食事施設である。その施設を通り、笹目倉山への登山道(新道)があるらしく、道標もある。ただし最初が急な沢沿いなので、経験上選ばなかった。これが正解で、ネット情報では沢沿いの部分が荒れて通れないらしい。
清流園を過ぎ、小さな沢を渡ると、明瞭ながら、あまり歩かれていない道が山に向かっているので、それに入った。すぐに道は沢にぶつかる。地図によると、登山道は尾根に向かっているので、適当に登る。杉林の中の薄い踏み跡はすぐに明瞭化する。テレビアンテナのケーブル線が踏み跡に沿っているが、先でアンテナが壊れたまま放置されていた。
杉林の中の急な登りである。合目を記した石柱が現れると、西側からもう1つの踏み跡が合流する。標高450m強である。その後、少し傾斜が緩む。いくつか合目の石柱と祠を見た後、もう一度急登する。山頂部が覆い被さるように見える。「倉」と呼ばれるわけだ。
拾合目の石柱の地点で新道からの踏み跡が合流していた。笹目倉山の山頂はその少し先だった。社があり、境内の中に三角点(800.1m、点名は三顔山)がある。笹目倉は日光を開山した勝道上人が修行をした山で、当時は三顔山(みがおやま)と呼ばれていたらしい。西麓の小来川(おごろがわ)から登ると、途中に風、雨、雷の神様を祀る祠があるとのこと。三顔とは、この3つの神様にちなんだのか。
下小代の駅から山頂まで2時間半かかった。そのうち車道歩きは1時間半である。後で調べていると、新鹿沼から小来川までバスがある。それなら風雨雷の神様を拝みつつ、少しばかり傾斜の緩やかな小来川から登ったのにと思う。
上の写真は車道歩きで見た笹目倉山である。三角錐に見える。下は山頂である。
20231125笹目倉山を.jpg

20231125笹目倉山山頂.jpg

2023/11/25


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