地震、洪水、火山の噴火による被害を防ぐのは不可能である。「完全に防ぎたい」「徹底して防ぐべきだ」とは理想でしかない。理想だとすれば、他の手段はあるのか。
「逃げる」が対局にありそうだ。この点についても現実は厳しい。どこにいても何らかの災害に遭うリスクから逃げられない。
この厳しい現実を直視すれば、個人にしろ国にしろ、リスク分散が最大限の防衛手段となる。
普通の個人なら、身に付けて簡単に持ち運べる「金」を保有することになる。中国、インド、中東のような、国家の栄枯盛衰や多民族の侵略を経験してきた地域において金への信頼が厚いのは、客観的に見ると当然だろう。まあ今の日本なら、金に頼る必要性には乏しい。金融機関に預金し、証券を預けておけば何とかなる。
大金持ちなら複数の家を地域分散して持つことである。別荘ではない。居住用である。ついでに複数の国籍を持つことが正しいかもしれない。華僑が家族を世界各地に分散させるのは、彼らの生活の知恵である。今は日本に家を持つことが流行している。
それと同様、政府も政策として「分散」を用いるのが正しい。金融リテラシーの重要ポイントとして分散投資がある。政府が国民に対して分散投資を声高に叫ぶのなら、その応用事例として、自らが災害リスクに対する分散を実践すべきである。
残念ながら日本政府としては海外に領土を持つことができない。海外を用いた分散なら同盟関係だろう。サプライチェーンの分散が一例となる。
国内では直前のブログに書いたように、経済活動や生活空間の分散である。喫緊の課題は首都機能の分散である。
首都近辺を震源とする大地震、巨大台風がもたらす荒川の氾濫、富士山の噴火と、それらによる被害を政府が想定し、公表している。その想定被害に対して土木工事、補強工事で対処しようとするが、いかにもパッチワークであり、建設業界に対する援助事業的である。
片方で、今回の能登半島地震のような新たなタイプの地震などから、さらなる災害想定が生まれるかもしれない。その度に新たな被害想定と対応が策定され、対策費が積み上がる。マッチポンプ的というか、パッチワーク的というか、完璧主義的というか、いくら国債を発行しても足りない。
それよりも「災害を完璧に防ぐことは不可能」「リスクをゼロにはできない」と表明するにかぎる。そして、国の財産である人、住居、企業、公的インフラの分散を計るのが現実味のある、賢い政府の方策となる。
今の政府の組織が、気象、土木、地方行政、財務、国税などと縦割りだから、政策の統合ができていない。統合的な役割を果たすべく内閣府があるはずながら、その内閣府が各省からの出向者で成り立ち、各省の利害中心に動く。また内閣府の頂点に位置する総理大臣がポイントを外している。そうだから、国民に上から目線で説いているリスク分散という視点が自らにはない。その結果、マッチポンプとパッチワークから離れられないのだろう。
2024/01/02