訃報が届いた。日本生命の元専務だった三宅一郎さんが亡くなったと。享年91歳とある。亡くなられたのは2月22日、僕がパタゴニアの南端、ウシュアイアを楽しんでいた時だ。222の日でもあり、少しばかり繋がりを感じる。
1977年2月、仲人をお願いした。三宅さんが財務総務部の次長として就任された年度の末に近かった。家にもお邪魔した。結婚したことに配慮し、東京に転勤させてもらったようにも思う。
高校は高津高校、大学は京都大学経済学部である。朧気ながら、ゼミが僕と同じ嶋津亮二先生だったとも思う(後で確認しておこう)。
とはいえ、そういうことに無頓着な方だった。会議の資料の説明を受けても、その資料を持って帰らない(つまり家で勉強しない)とかで、当時の主任や課長代理が困っていたこともあった。頭の整理が上手だったと思う。
麻雀が大好きだった。当時の日本生命は非常にのんびりとしていて、夕方4時頃になると、近くの課から斥候がやってきた。今日の予定を探り、交渉する。多くの日は交渉が成立し、就業が終わるとともに三宅さんはもちろん、多くの上司がいなくなった。と、僕は近くの同期と誘い合わせて飲みに行くか、5時過ぎまで仕事をして梅田の書店に立ち寄って帰るかしていた。
最後にお会いしたのは2015年だったか、もう少し後だったかと思う(記録していないが、少し調べたところ、2017年11月かも)。昼の時間、京都大学の時計台下のレストランで同窓会があるとかで寄られた。その時に少し話をした。お元気そうだったのだが、考えればそれから時間が経っている。
人工透析を受けられていたとか聞いている。91歳、立派な天寿だろう。しかし寂しくもある。
2024/03/08