川北英隆のブログ

幻のミャンマー国境越え

泰緬国境、つまりタイとミャンマーの国境だが、その国境を陸路で越えたのが2015年12月だった。タイ側にはメーソート、ミャンマー側にはミャワディという町がある。その国境地帯が紛争状態にあるらしい。
泰緬国境がどういうものなのかは2015/01/05から数回のブログを見てほしいのだが、当時のミャンマーは比較的平和な国だった。
開放政策が進み、タイから簡単にミャワディに入れるようになった。その国境の町から車を交渉し、新しく整備されたアジア・ハイウェイを通ってタルウィン河口の都市、モーラミャインに出ることができた。モーラミャインまで出れば、中心都市ヤンゴンまで遠距離バスがある。
ミャンマーは多民族国家である。人口の多い順に、ビルマ、シャン、カレンが挙げられる。今回の紛争のあったミャワディ付近はカレン族の居住地域である。
2015年にミャワディからモーラミャインまで車をチャーターして移動した時も、カレン族が設置したと思えるゲートがあり、運転手が通行料を払っていた。平和裏の検問的なものだったのだが、カレン族としての収入確保であり、ミャンマー政府の統治が完全でないことも示していた。
そのミャワディは海外(とくにタイ)から物資を運ぶうえで重要である。ミャワディにはミャンマー国軍(ビルマ族中心)は軍事施設があったものの、最近、それがカレン族の攻撃を受けて銃撃戦となり、結局は国軍側の兵士が投降したと報じられている。
実は(すでに書いたかも知れないが)、この泰緬国境を一緒に越えたのは福間鋼治氏であり、彼とは「次に印緬国境を越えてインドのインパールに行きたいね」と計画していた。インドのインパールへもミャンマー側からアジア・ハイウェイが通っている。
しかし2016年8月、彼が急逝した。「どうしようか」と思っているうちに2021年のミャンマー軍のクーデターが起きた。それへの反発から、ミャンマー内部はビルマ族の居住地域以外は無政府状態に近くなった。2018年には下見を兼ね、印緬国境のインド側、インパールとコヒマを訪れたのだが。
泰緬国境がこんな状態なら、一番難しい国境の1つ、印緬国境にミャンマー政府の力が及んでいるとは到底思えない。ミャンマー政府の印緬国境越えビザが得られたとしても何の意味もない。泰緬国境を越えられただけでもラッキーだった。以上、印緬国境越えが幻になったと、ミャワディのニュースで痛感した。
平和だった頃のミャワディの朝の托鉢をアップしておく。
20240413ミャワディの托鉢.jpg

2024/04/13


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