大平山から下りて榛原駅まで歩く途中、M君の案内で宿場跡を訪ねた。旅籠の見学ができるはずだというので訪れたのが「あぶらや」だった。
伊勢本街道(桜井、宇陀、曽爾、松阪をほぼ直線的に結び、伊勢へと続く街道)と阿保越道(今の青山付近を越えて伊勢方面へ続く道)の分岐地点に、「あぶらや」をはじめとした宿場が形成されていた。今の榛原の萩原地区である。
榛原という地名は、元々は萩原だったとか。その昔は宿場町であり、その中心が萩原だったから当然であり、今の榛原の駅は新興地区である。
萩原は交通の要衝だったわけで、本居宣長も宿泊し、「菅笠日記」の中で萩原に泊まったと記しているらしい。旅籠の名前が書かれていないため、泊まったのが「あぶらや」かどうかし不確からしいが。
その「あぶらや」を見学できた。宇陀市が運営しているらしく、入場料無料、パンフレットがもらえ、しかも案内が付いた。二階が客室になっていて、かつての膳までセッティングされていた(空の器が並ぶだけだが)。
今も江戸時代の旅籠が見られるのは、昭和の真ん中より少し初期寄りの世代にはなつかしい感じがした。文化を残すのもソーシャル(S)である。そう思えた。
写真、上は「あぶやら」の玄関、下は客間に並べられた膳である。
2024/05/05