今日、紙やネットのニュースを見ていて思うことがいろいろとあった。その思いをまとめると、表題として書いた「オッサンの発想は古いなあ」である。
1つはクジラのニュースである。読売のネットニュースに、「ナガスクジラも商業捕鯨の対象へ・・」とあった。僕は捕鯨に反対していない。欧米が鯨油を採取するためにクジラを乱獲し、必要なくなれば「捕鯨反対」では筋が合わない。動物がかわいそうなら、最初に牛や羊を飼って食べる文化に矛先を向けるべきだ。
それはともかくも、その読売のニュースの最後に、鯨肉の消費量が非常に少ないから、政府は予算を計上し、消費を促進するために「学校給食での鯨肉利用や、捕鯨業者による販売促進などを支援している」とある。
これに対して、「学校給食と言われてもねえ」と思う。子供の頃、ゲイカツ(芸者や芸能人になるための活動ではない)が給食に登場した。鯨カツである。その不味くて筋の多かったことを思い出す。懐かしいのだが、今さら食べようとは思わない。それを食べさせようとするのは、昔は何でも良かったとするオッサンの発想だろう。
大学3年生だったか、青森港で青函連絡船を待っているときに鯨カツを見つけて懐かしくなり、それの入ったカレーを食べたが、それが最後だった。鯨カツの最後だったと思うと、美味かった記憶らしきものが蘇る。当時は「貧乏で腹をすかせた大学生の腹でもこんなものかな」と思っていたに違いないのだが。
もう1つは日経本紙の教育問題である。紙ベースで検定済の教科書を金科玉条に据える「日本の変」が1面に書かれていた。
子供の頃を思い出すと、小学校から高校まで、教科書をあまり話さない先生がたくさんいて(日教組の影響下もしれないが)、面白かった。もちろん与太話をする先生もたまにいて、その時はよそ見していたが。
それと同じで、教科書は生徒の自主学習的に任せ、先生は教科書に関連する話をするのがいいのではないか。その教材としてネットも多用すればいい。とくに英語は辞書を引くのが大変である。ネットと併用すれば、発音もすぐに聞けることだし、生徒の水準が上がるだろう。
同じ日経の本誌に、慶応の塾長(要は学長)の話として、「国立大学の授業料を今の50万円少しから150万円に値上げし、教育の質を向上せよ」とあった。当然の発言だろう。
「大学の学費の安いことがいいこと」とするのは、絶対に、勉強しなかったオッサンの思い込みである。今の国立大学は「安かろう、悪かろう」に落ちつつある。給与が安いから優れた教員が来ない。人件費に限りがあるから教員や事務が手薄かつ粗悪になる。当然、研究の質が落ちる。
学費を上げれば大学に進学できなくなるとの嘆きもあろう。それには別対策を講じればいいだけのこと、日経も書いているように奨学金制度がある。1つの政策、この場合であれば安い学費で対応しようとするものだから、「こちらが立てばあちらが立たず」になる。この1つの方式というのもまた、日本の最近の伝統なのだが、やはり古きを信奉する日本のオッサン的発想かもしれない。
じゃあ「あんたはどや」と言われると、今やますますオッサン化している。そもそも洋風化した料理についていけない。「毎日食べるのなら伝統的な和食がええな、最高やな」と思う今日この頃である。
2024/05/09