川北英隆のブログ

うちの飼い猫と飼い犬と-2

小さい頃に犬を飼っていたのは、家の外に庭があったからだろう。どんな家だったか正確には覚えていないが、東西に車1台くらい通れる道があり、その北側に家と工場があった。家の西側に通路と庭があり、その奥に犬小屋があった。コスモスやカンナを植えていた。
借家で、大家さんは金魚池を経営していた。農業もしていたのだろう。家の前は田んぼだったから、犬の散歩にはもってこいだったと思う。その犬、チビの記憶は凍った金魚池と一緒にしか出て来ないに等しい。こげ茶の毛並みだったと思う。
2回目の引っ越しの後、庭と工場のある家になった。大学生として下宿していたため、経緯は定かではないが、迷っていたのを拾ったのか、茶色の(いわゆる赤犬)、少し小型で太り気味の犬がわが家に住み着いた。昼間、門が開いているときに入ってきたのだろうか。
メスかオスか忘れた。タローの名を引き継いだ。放浪癖のある犬で、飼われていたのに、1ヶ月間ほどいなくなったこともある。とにかく外に出るのが好きだった。
夏休みのある日、叔母さんが車で果物を届けに来てくれたのだと思うが、門を開けて母親たちが玄関で話していた。タローは門の外のコンクリートの上で寝ていたはず。すると「キャン」と鳴き声がした。タローの鳴き声と思い、門の外を見に行ったのだが、犬の姿はなかった。犬捕りにさらわれたのだと思っている。
そのしばらく後、1973年のある土曜日だったと思う、駅から歩いて帰って来ると、妹が子犬を散歩させているのに出会った。聞くと、勤めている銀行の近くで拾ったとか。勤務が終わり、電車に乗せて連れてきたらしい。それが2代目のタローだった。白黒のまだら模様の犬だった。太い足だったので、パトラッシュ級になるかと思ったが、普通の犬よりは少し大きめ程度に育った。
雷を怖がり、猫も怖かったみたいだ。散歩が大好きだった。外で飼っていたのでフィラリアになり、1988年だったと思うが、息を引き取った。数年で消え去る犬や猫は「おーい」と呼び止めたくなるが、最後まで家にいる猫や犬にも「どうすりゃいいのさ」の気分になってしまう。

2024/06/06


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