僕の元々の知人ではないが、中山行輝氏が亡くなった。カミさんが朝、そう叫んだ。今冬のことらしい。高校の同窓会から連絡があったとか。僕も一宿一飯の恩というか、中山氏が主催する勉強会で2回だったか、話をさせてもらった。確認すると、2012、13年だった。
北野高校、東京大学法学部を卒業し、日本開発銀行に入行、設備投資研究所次長、くろがね工作所顧問というキャリアである。
僕も日本開発銀行の出身者を何人か知っている。彼らとの話の合間に中山氏の名前を出すと、「知ってるよ」と話の流れを作ることができた。某日本開発銀行出身の有名人の名前のように、「あいつはねえ」と話を変な方向に向けることがなかったのは当然である。
深大寺(調布市)の近くに自宅があったと聞く。僕らが1989年まで神代植物公園の近く(三鷹市)に住んでいたこともあり、勉強会の帰りにソバをもらった記憶があるし、その後もカミさんが何かの機会にソバをもらっていた。
2012、13年の頃、中山氏の関心はIR(Integrated Resort=統合型リゾート)、つまりカジノの誘致にあった。その後もそうだったと聞くし、ネットで調べると2017年の卒業高校の同窓会でも「カジノを含むIR施設は日本でどう実現する?」と題して講演している。僕はカジノ誘致が公営博打天国の日本をますます堕落させると思っていたから、この点で中山氏と距離があった。
カミさんの同級生で連絡の取れる男性は、早くして亡くなっているらしい。中山氏とはほぼ同学年、我々の世代は苦労したのかなあ。とはいえ生き残っていたとしても健康で過ごせる残り時間はせいぜい10年程度、もはや大差なくなりつつある。そうつぶやきつつ、ご冥福をと祈っておきたい。
2024/06/22