川北英隆のブログ

興味深い円安の是非論

昨日、日経経済教室「歴史的円安と日本経済」の論考について批判した。その埋め合わせではないが、6/25の「歴史的円安と日本経済・上」は興味深かった。経済史の観点から明治学院大学の岡崎哲二氏が書いている。
それによると、大幅な円安になった局面は過去に2回あった。
1931年9月、日本が金本位制を離脱した後である。32年以降、急速に円安化した。1ドル2.006円から4円近くにまで下落している。
もう1つは第二次世界大戦を挟んだ時期である。敗戦後、1ドル360円になった。
この2回の円安は日本経済の回復につながったと論じている。この回復の背景にあるのは、米国と比べて割高だった日本の物価水準が安い方向に調整されたこと、貿易財産業に従事する者の比率が6割から7割程度と高かったこと(つまり円安の恩恵を国民の多くが享受できたこと)、労働力人口が豊富だったことから円安メリットを受ける産業の発展が容易だったことを挙げている。
この2回の経済環境は、今の経済環境とは異なっているとする。まず、今の日米の物価上昇率は米国のほうが高いから、(僕の解釈を加えると)円安はお呼びではない。安い日本をますます安くするという、逆効果しか生まない。
また現在の貿易財産業のウェイトは大きくない。現在、貿易財産業に従事する者の比率は2割を割っている。一方、非貿易財産業は円安のマイナス効果を受けやすいとする。さらに今の日本は、労働力が不足する時代に突入している。
以上から筆者の結論は、過去の円安は日本経済に大きなプラス効果をもたらしたものの、今は過去と大きく異なるとある。正しい結論だと評価したい。
結局のところ、為替レートは経済に変革を促す。今回の円安が要請しているのは、日本経済の高度化、高付加価値化だろう。通常の物価の高安を離れ、高付加価値の(つまりは高い)製品やサービスを提供し、その利益を国民に還元できる企業の生産活動である。つまり、現在のかぎりある労働力の能力を高めることに尽きる。
今まで安い労働力に頼り、求めつつ、関西圏や東京圏から離れ、四国、東北、九州、挙げ句は韓国、中国、東南アジアと展開してきた、さらには日本国内の賃下げまで行った日本企業の行動パターンから大きく離れることを求められている。安い労働力の得られる先を見つけるのではなく、高い労働力でも十分にペイする製品やサービスを探すというのは、これまでの日本企業で主流だった発想の大転換である。どこまで可能なのか。
もう少し言えば、日本の文系の秀才が得意としてきた物まね文化からの離脱である。理系的発想に基づく構想力が求められている。歴史において中国、西洋という手本があった日本人にとって、得意ではなさそうな。
ということで、日本に難問が突きつけられている。「難儀な」を突き抜けている。

2024/06/27


トップへ戻る