光都にあるSPring-8の最寄り駅は相生である。本当は姫新線の西栗栖駅が一番近いようだが、姫路からの本数が少ない。その最寄駅の相生には不思議があった。
かつて相生駅で乗り換えたことがある。タイのバンコクで客死した福間氏の葬儀のために出雲まで出掛ける途中、寄り道をした時(2016年8月末)のことである。もう少し書くと、播州赤穂の先、日生(ひなせ)の一等三角点、烏泊山に立ち寄った時である。山陽本線の相生駅から赤穂線に入り、さらに赤穂で乗り換えて日生に出た。
その時、相生で電車を待って思ったのは、この小さな相生にどうして新幹線が停まるのかだった。その後、忘れていたのだが、今回も同じことを感じた。その疑問が、実はSPring-8でほぼ解決したように思う。
今は人口3万人を割る相生市は、実は造船で栄えた町だったらしい。しかも国民の記憶に残っているかどうか怪しいが、大物政治家であり、三光汽船(1985年に倒産)の社長だった河本敏夫氏の生地でもある。その河本氏は実業家だったこともあり、産業政策に熱心だった。
ということで、SPring-8を核とした光都が相生の奥に決まったのも、相生に新幹線が停まるようになったのも、直接かどうかはともかく、岐阜羽島と大野伴睦氏との関係のようなもので、河本氏と無関係ではないだろう。光都が西の筑波を目指したとか、岡山と姫路の間の距離が長過ぎ、新幹線の途中駅として相生が必要だったとか、他の理由はいろいろあるのだろうが。
ちなみに相生の港近くには「河本敏夫先生之像」というのがあるらしい。もちろん立ち寄ったこともなく、相生近辺の地図で帰ってから見つけた。
2024/07/08