夏の夕空が好きだ。子供の頃から好きだった。夕立雲が雨とともに崩れて細切れになり、その切れ端が、太陽が山の端に隠れるとともに赤みを帯び、やがて鈍色になり、暗くなった空に行方定めず溶け込んでいく。
そんな一日の午後の経過を猫のように屋根の上から眺めるのが、子供の頃の夏休みの始まりだったように思う。宿題なんてすでに終わっていた。だから「今年は何をしようか」と迷った。迷うといっても選択肢はごく狭い範囲にしかない。突き詰めれば、順番の組み合わせだけだったかもしれない。
以上のようなことを思ったのは、日本の夕空を久しぶりに見たから。
2週間ばかり海外を旅行していた。どこに行っていたのか。インドの北西部の端、ラダック地方である。簡単に書いておくと、デリーからかつてのインドの夏の都シムラーを経由し、陸路でインダス川上流にあるラダックの中心地、レーに入り、そこから空路でデリーに戻った。
ラダック地域は地図を見ると明らかなように、国境が定まっていない。インド、パキスタン、中国(チベット)に囲まれ、現在も小競り合いが続いている。そんな中、ラダック地方の多くはインドが実効支配している。
そのインド旅行の空は日本と大差がある。デリーは、経済発展途上によって空気が汚いのか、また湿度が高く、青空がない。ラダックは空気が乾燥し、産業は農業関係だけに近いから、澄み切った青空が広がっている。
だから日本の空はデリーとレーの中間のように感じられる。雲と夕立が適度にある日本の夏、良き日本を再認識してしまう。夕方、暑さがさっと引いた子供の頃の日本の夏はもっと良かったのだが。
2024/07/26